三代 歌川広重は明治期の文明開化の中、当時流行した化学染料で赤を多用し移りゆく時代を鮮烈に描きました。
三代 歌川広重 | さんだい うたがわ ひろしげ |
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俗称: 安藤徳兵衛 | |
1842年(天保13年)〜1894年(明治27年) | |
浮世絵師 |
初代 歌川広重は北斎と共に浮世絵の2大巨匠と呼ばれており、風景画家として世界的にも評価が高い浮世絵師です。
初代の没後に初代の養女お辰と結婚した門人が二代 歌川広重となりましたが、若いお辰と20歳以上の年齢差があった二代 歌川広重は数年後離別することとなりました。
その後離縁されたお辰と結婚し、後を継いだのが弟弟子であった三代 歌川広重です。
歌川広重は五代まで続きましたが、初代・二代・三代が特に評価が高く中古市場でも人気です。
2018年には明治150年を記念して販売された特殊切手と記念貨幣に三代 歌川広重のデザインが使用されており、三代 歌川広重が更に脚光を浴びることとなりました。
江戸時代までは、鮮やかな赤を表現できる絵の具は「紅」であり、原料の紅花を大量に消費する紅は非常に高額でした。
開国により安価で鮮やかな化学染料の輸入が可能になり、明治初期の浮世絵はそれまでのストレスを発散するかのごとく赤が乱用され、『赤絵』と呼ばれています。
どぎつい赤はインパクトがあり新しい物好きの明治の人々に受け入れられましたが、色のバランスの点で芸術性が落ちてしまい現代では人気がありません。
その中で三代 歌川広重の描く赤絵は赤を多用しつつも高い芸術性を保ち、むしろ赤の異質感と高揚感が文明開化の空気を表現することとなり名を上げました。
三代 歌川広重によって、天皇の行幸(外出)先での発輦(天皇の車の出発)を描いた作品です。
江戸時代の徳川家は浮世絵を厳しく検問し、幕府に関することや事件を描くことは禁じられていました。
明治からは制限がなくなり浮世絵はジャーナリズムのような役割を果たし、それまで描かれなかった天皇の外出も題材となることとなりました。
三代 歌川広重はこの作品でも赤を多用している他、紫も発色の良い化学染料を用いており総じてきらびやかな雰囲気を出しています。
遠近法や奥行きのある洋画の影響が見られ、構図も洗練されている浮世絵です。
浮世絵は大衆向けに版画で刷られ新聞のような役割があり、気軽に購入ができる物でした。
三代 歌川広重の描いた浮世絵の中でも開化絵は特に評価が高く、買取価格が期待できます。
大量に生産された物よりも、数量限定の作品のほうが査定価格は上がります。
原画に関しては更に高額になります。
鑑定書などの付属品をお持ちの場合はプラス査定になりますので、一緒にお出し下さい。
同じ作品でもその保存状態により買取価格は大きく変動しますので、版画の保管は特に湿気と紫外線に注意が必要です。
湿気はカビや虫によるダメージの原因になり、紫外線は染料や紙の劣化を招きますので、保管にはご注意下さい。
いわの美術では三代 歌川広重の浮世絵を高く評価してお買取りいたしております。
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今回お買取りの御行幸御発輦之図は、所々シミや折れが確認できますが、流通量が少ない貴重な作品ですので高額買取となりました。
今回お買取りの三代の他に初代・二代も中古市場で人気があり、こちらも買取価格が期待できます。
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