いわの美術では、水野年方に師事し技術力の高さから数多くいた弟子の中で四天王の一人と称された荒井寛方の掛軸をお買取り致します。
1878年に栃木県塩谷郡で生まれた荒井寛方は、本名を寛十郎と言い家紋や提灯に上絵を描く仕事をしている家に生まれました。
幼い頃から父親の仕事を見ていた荒井は自然と絵に興味を抱いた頃、父が師事していた南画家の瀧和亭から誘いを受けて21歳で日本画家の水野年方に弟子入りします。
水野年方に歴史画や風俗画学んだ荒井はみるみると実力を上げ、水野年方の弟子の中では技術が高い事から四天王の一人とも言われていました。
23歳で第十回日本絵画協会に温和という風俗画を出品し2等褒状を受けたのを皮切りに同会での受賞を重ね、翌年国華社に入社します。
その後、国華社から出版された「国華」という古美術の雑誌内で掲載する木製複製図版用の仏画を模写する仕事に携わった荒井は、この仕事を通して画家としても実力を上げ後に多くの仏画を残します。
また、院展に様々な作品を出品し受賞を重ねた荒井は、日本と交流のあったインドの詩人で思想家でもあるラビンドラナート・タゴールからインドにある美術学校で絵画を教えてくれないかと頼まれました。
タゴールからの依頼を引き受け38歳の頃インドに渡り教授として絵を教えながらアジャンター石窟群の壁画を模写した荒井は、日本に帰国後仏画を数多く出品し「仏画の寛方」と呼ばれます。
インド的趣向の代表者としても認められていた荒井でしたが、46歳で中国へ渡った際伝統的な日本の古典作品を目にしてから日本の古典的な作風に変えたそうです。
62歳では法隆寺金堂寺の壁画を描くチームの主任画家に選ばれ日々奮闘していましたが、67歳という若さで急死した為、最後の作品を見る事は出来なくなってしまいました。
荒井寛方の作品について
荒井寛方は生前数多くの展覧会に作品を出品していた為、現在の中古市場でも様々な作品が見られ、その中でも20代〜30代の頃に描いた仏画が現在の中古市場で人気を博しています。
また、荒井の作品は画面いっぱいに描くのではなく余白を上手く用いて描かれた作品を浮き立たせインパクトが残るような作品に仕上げました。
ちなみに荒井が師事した水野年方は、着物を着た女性など当時の風景を主に数多く描き、弟子の荒井とは違い余白部分が見えない程の木々や山々、人々を画面いっぱいに描いていて迫力のある作品に仕上げています。
そして師匠水野年方と弟子荒井寛方の作風で共通する部分は、人物の書き方です。
スッと伸びた綺麗な鼻筋と顔の輪郭がふんわりしている部分が良く似ています。
師匠から受け継いだ技術と秘めていた自身の実力が合わさって描かれた荒井寛方の作品は、中古市場でも評価を受けている作品となっています。
荒井寛方の掛軸買取について
いわの美術では、荒井寛方の掛軸をお買取りしております。
上記でもお話し致しましたが、荒井の仏画作品は中古市場でも評価が高く高価買取が期待出来ます。
また掛軸の買取に関して重要な部分は、作家名、作風、状態、箱書などです。
作家名に関しては、作家により評価が異なる為査定額も変わり、箱書きに関しては有名な茶人の名前が書かれているだけで通常のお品物より査定額があがる事がございます。
作風に関しては、作家によって人気の作風がございますので画像などを頂いての判断となります。
状態に関しては、湿気などによる作品や共箱のシミ・カビ、作品や軸装の破れ、共箱の破損など御座いますと完品の状態よりも査定額が下がってしまいます。
また、「作家がわからない」「作家はわかるけどタイトルが不明」「掛軸についているのがシミかカビかわからない」「箱に何か書いてあるけど読めない」という方も多いかと思います。
その際は、メールやLINEで作品の画像を送って頂けましたら査定が可能ですので作家がわからない方でもご利用出来ます。
上記でお話しした荒井寛方以外にも、師匠の水野年方、荒井寛方の父親の師匠瀧和亭の作品もお買取りしております。
遺品整理、蔵整理などで出てきた掛軸のご売却をお考えでしたらいわの美術までお気軽にお問い合わせ下さい。