雨宮治郎の作品買取ります
雨宮治郎は、大正から昭和の時代に活躍して彫刻家で、1889年に群馬県で生まれました。
彫刻家になる為東京美術大学の彫刻科を専攻し、在学中の1918年には「落花」という作品を第十二回の文展に出品して初入選を果たします。
その後、31歳で彫刻科を卒業、その二年後には研究科を卒業し帝展や日展、文展など様々な展覧会に作品を出品していきます。
大学在学中の初入選など若い頃からの功績が称えられ、61歳で日展審査員、日展運営会参事に選ばれ、翌年には東京学芸大学の教授になるなど芸術の世界に大きく貢献しました。
見たものを正確に表現するリアリズムを追求し、男性をモチーフとした作品を数多く制作しています。
また、77歳で勲三等瑞宝章を受章し今後の活躍が期待されましたが、81歳で惜しまれつつこの世を去りました。
雨宮治郎の子供達
雨宮治郎には、娘の雨宮敬子と息子の雨宮淳がいますが、この2人は父親の雨宮治郎と同じく彫刻家です。
息子の雨宮淳は2010年に72歳でこの世を去っていますが、娘の雨宮敬子は現在も活動を行っています。
雨宮敬子は、雨宮治郎の娘として1931年に東京で生まれ父親の仕事姿を見ながら育った事で自然と彫刻家を目指すようになります。
日本大学芸術学部を卒業後、25歳で初めて日展に作品を出品して初入選を果たし、51歳の頃には第十回長野市野外彫刻賞で「生動」という作品を出品し受賞しました。
その後、旭川市が開催した中原悌二郎賞や日展の内閣総理大臣賞を受賞するなど数多くの功績を残し、2017年の11月には文化功労者に選ばれました。
雨宮敬子と雨宮淳の作風は、父親である雨宮治郎が追及したリアリズムを合わせ持ち筋肉の作りなど忠実に再現されている作品が多くございます。
雨宮治郎の作品買取について
雨宮治郎の作品は、展覧会などにも出品されていますが、モニュメント用の作品も数多く制作されています。
第十二回日展に出品した「健人」という作品は、1967年の卒業生から贈られ、現在でも日本体育大学世田谷キャンパス1階のエントランスホールに飾られています。
その他には、北海道開道100年を記念して北海道札幌市大通公園に設置された「黒田清隆像」や、現在は改装の為閉鎖されている国立競技場では、「槍投げ像」が設置されていました。
雨宮治郎の作品は、足や腕を曲げた時に見られる筋肉の動きなどがとても忠実に再現されていて、今にも動き出しそうな作品が多いです。
また、雨宮治郎の作品の土台部分にはサインが書かれていますので、誰の作品かわからない場合は、作品全体とサイン部分のアップ写真を頂けますとお調べが可能です。
ご実家の遺品整理や、コレクションの整理など売却を考えているお品物などございましたら、いわの美術までお問い合わせ下さい。
いわの美術では、今回ご紹介した雨宮治郎のブロンズ作品以外でも、茶道具や書道具、仏像、中国美術、喫煙具、西洋アンティークなど幅広くお買取りを行っております。
お問い合わせはメール・ライン・電話などでも受け付けておりますので、お気軽にお問い合わせ下さい。