横江嘉純のブロンズ作品買取ります
今回いわの美術がご紹介するのは、彫刻家として数多くの作品を世の中に残している横江嘉純です。
富山県に生まれた横江嘉純は、幼い頃から絵を描く事が好きだったため、小学校卒業後は画家を目指しましたが、実力不足により挫折を味わいました。
その後横江嘉純は画家になる事を諦めましたが、今度は彫刻に興味を抱き彫刻家を目指すようになります。
昔と同じ過ちは繰り返さないと誓った横江嘉純は、京都にある常楽寺で書生として家事など手伝いながら京都美術工芸学校で技術などを学びます。
在学中に多くの基礎や技術などを吸収し、特待生として19歳で京都美術工業学校を卒業しました。
その後徴兵で3年間入隊し、兵役終了後は更なる技術の向上を目指して東京美術大学の彫刻科に入学しました。
東京美術大学卒業から4年後の1918年には、第12回文展で塑像「山番」という作品が初入選したのを機に、様々な作品を出品しています。
その後42歳では帝展審査員に任命され、65歳ではこれまでの功績が称えられて日展参事となりますが、10年後の75歳でこの世を去りました。
横江嘉純の作品について
横江嘉純が作る作品は、人の動きが繊細かつ柔らかに表現されていまして、こちらの画像にもあるように、顔のシワや眉、頬のたるみ、唇の厚みなど顔の表情も細かく作られているお品物が多く残されています。
また、横江嘉純は塑像と呼ばれる彫刻技法を得意としていました。
塑像とは、粘土などを材料として焼成せずに乾燥させて造る彫刻技法で、中国から日本の奈良時代に伝わったそうです。
奈良時代前期に中国から伝わった塑像は、奈良時代後期に日本で多く用いられるようになりましたが、平安時代になると木彫が主流になった事で塑像は姿を消していきました。
現在塑像は、ブロンズ像の原型として使用されています。
横江嘉純の作品買取について
横江嘉純は、ブロンズや木彫、大理石、洋画など多数の分野で作品制作を行っております。
その中でも、ブロンズ製のお品物は中古市場で人気なお品物となっています。
また、横江嘉純の作品以外でも日本を代表する彫刻家の1人である佐藤忠良や、北村西望を師と仰ぐ彫刻家富永直樹のブロンズ作品もお買取りしております。
ブロンズ製の作品には、必ずサインが彫られていますので、遺品などで誰の作品かわからないお品物がございましたら、まず作品の後ろや土台の部分に銘がないかどうか確認してください。
また、作品が入っている箱などがございましたら、どんなに汚れている物でも捨てずに取っておいてください。
その箱に作家名など書かれていますと、作品の保証書代わりとなり状態によって評価が高くなる可能性がございます。
蔵や実家の整理で出てきたブロンズ像や木彫りの置物、ゴミだと思って捨てようとしていませんか?
今捨てようとしている物の中には、高価買取が期待出来るお品物が多数あるかもしれません。
ゴミとして処分する前に、一度いわの美術までお問い合わせ下さい。
どんなお品物でも1点1点慎重に拝見させて頂き、現在の相場に合ったお値段をご提示しております。
遺品整理、引っ越しの片付け、コレクションの整理でお困りの方は、いわの美術までお気軽にお問い合わせ下さい。