最も「優しい野獣派」といわれたラウル・デュフィ Raoul Dufy は、20世紀後半のフランス・パリを代表するフランス近代画家です。
野獣派(フォビズム Fauvisme)とは鮮やかな色彩を多用する画風で、20紀初頭にある評論家が展覧会に出展された初期フォビズムの作品をみて「まるで野獣(フォーヴ・fauverie)が檻の中にいるみたいだ」と評したことから命名されました。
野獣派の画家には、アンリ・マチスやジョルジュ・ルオーなどがいますが、ラウル・デュフィは明るく陽気な色彩を用いたため、「色彩の魔術師」と呼ばれました。
1877年に北フランスのル・アーヴルという港町で生まれたラウル・デュフィは、生まれ故郷の港町の風景や、ヨットレースの様子、競馬場を描いた明るい風景画、ニースの社交場、バイオリンやオーケストラをモチーフにした室内画など、1953年76歳で亡くなるまで、主にフランス国内で明るく洗練された風景画作品を描き続けました。
ラウル・デュフィと同時期にフランス画壇で活躍した画家には、ゴッホや、ピカソ、シャガール、レオナール・フジタ(藤田 嗣治)らがいます。こうした著名画家に比べると、ラウル・デュフィの名は、あまり知られていないように思われるかもしれませんが、フランスで生まれフランスで活躍したラウル・デュフィは、フランス人にとって自国が誇るアーティストとして尊重され、オルセー美術館、ポンピドーセンター、パリ市立美術館といった有名美術館に多くの作品が収蔵されています。
ラウル・デュフィの作品は、デッサンがしっかりしており、軽快でのびやかな線で対象物を見事に捉えています。また、「光=色彩」という独自の考え方に基づき、画面全体を覆う鮮やかな色彩と軽快な筆さばきで、透明度の高い洗練されたスタイルの絵画を描いている点に特徴があるとされています。
ラウル・デュフィは、不必要なものは描かず、省略を重ね、肝心なものだけを軽やかで洗練された筆致で、絶妙かつ、お洒落に描写しました。
初期の頃のラウル・デュフィの画業はなかなか認められず、生活が苦しい時代もあったようです。また、第二次大戦中、ナチス・ドイツがパリを占領して芸術家を迫害したため、スペイン国境に近い村に逃れて友人と共に暮らすといったこともありましたが、そんな時代でも村の風景や友人たちとの語らいの場面など、のどかなデッサンが残されています。
芸術性が認められた頃には、リューマチを発病し、絵筆を握ることもままならない日々が続く…など紆余曲折の人生を歩んだラウル・デュフィですが、作品一つ一つは色彩豊かで明るく透明感があり、光と喜びに満ちています。「生きる喜び」を表現するものとして評されたラウル・デュフィは、アンリ・マチスなど他の野獣派とは違った独自の世界を築きました。
また、若い頃のラウル・デュフィが、当時のパリのオートクチュールデザイン界の大御所であったポール・ポワレに見いだされ、婦人用ドレスの模様デザインを多く描いていたことは、あまり知られていません。
ポール・ポワレは、ラウル・デュフィについて、「彼は水、大地、雲、収穫物などの木製概念を自分のビジョンに置き換える天才」と称えました。
ラウル・デュフィは、ポール・ポワレやのちに契約したリヨンの織物メーカー・ビアンキーニ・フェリエのために数多くのテキスタイルデザインを創作しましたが、その多くは、従来のテキスタイルデザインの枠を超えた斬新な主題が用いられました。
ラウル・デュフィは、下記のような多岐に渡るモチーフを扱い、モードファッションの中で、注目を集めていきました。
-アールデコ調のバラ、チューリップ
-ギリシャ神話
-シノワズリの風景や人物
-象、ヒョウ、馬などの動物
-ジャングルの風景、植物
-船、帆船、舵などのマリーン調
-テニスコートなどの都市風景 など
1914年頃制作された服地プリント「花と音楽」は、ラウル・デュフィの作品にもたびたび現れるバイオリンとアールデコ調のタッチでバラを描いた総柄で、初期の野獣派を思わせる配色になっています。しかし、実際にアールデコが本格的に時代に登場するのは、1920年代ですので、このことからも、彼がいかに時代を先取りする感性にあふれていたかがわかります。
この「花と音楽」の輪郭を少しずらしたデュフィ調といわれる花柄は、人気のプリントモチーフで、しばしば流行のヒット柄になりました。その他、ラウル・デュフィの代表作には、織物の「オルフェウスとそのお供たち」、木版画プリントの「漁り」など優れた作品があります。
ラウル・デュフィは、他にも、本の挿絵、舞台美術、莫大な数のタペストリー、陶器の装飾、「VOGUE」誌の表紙などを手掛け、多くのファッショナブルでカラフルな作品を残しました。
海の女神
サンタドレスの浜辺
電気の精
三十年、或いは薔薇色の人生
ニースの散歩道 など