エルテ(Erte 1892〜1900年)、本名ロマン・ドゥ・ティルトフは、時代の最先端で幻想の世界を華麗に表現し、世界を魅了したアールデコ期の代表的アーティスト・ファッションイラストレーターです。
エルテは、近代ファッションの父であるポール・ポワレに見出され、およそ1世紀にわたる生涯を通じて、魅惑的な夢の世界を創作し続け、“アールデコの寵児”とも呼ばれています。
エルテはフランスで活躍したアーティストですが、生まれはロシアで、父親はロシア帝国海軍の提督といわれています。
エルテは幼少から病弱で、絵を描くことの好きな少年でした。そんなエルテは、軍人であった父の希望に背き、画家を目指して1912年、20歳の頃にフランス・パリに赴きます。
当時のパリは、空前のロシアブームで、ロシア人のマルク・シャガールやソニア・ドローネが活躍していた時期でもありました。
パリでモードデザイナーを目指すこととしたエルテは、“モードのサルタン”と呼ばれていたポール・ポワレに、自らのスケッチを送ると、その非凡な才能がすぐさま認められます。エルテは、ポワレの店で雇用され、ファッション・デザインやデザイン画を学びました。
エルテの幻想的で耽美的なファッション・イラストは、有力なファッション誌「ガゼット・デュ・ボン・トン」の目に留まり、同誌にデッサンを発表し、そこで、イニシャルのR・Tをフランス語読みしたペンネーム” Erte”を初めて用いました。
パリに引っ越してから瞬く間に名が知れ渡ったエルテですが、1915年には、新大陸アメリカでも注目されることとなり、アメリカの現在も続くモード雑誌「ハーパース・バザー」の表紙を依頼され、掲載されるに至ります。その後「ハーパース・バザー」誌と10年契約を結び、表紙を200枚以上も手掛けました。
エルテは、自分のイラストを衣服にすることは全く興味がなかったといいますが、1913年にマタ・ハリ(フランスのパリを中心に活躍したマレー系オランダ人の踊り子)主演の舞台衣装を手掛けたことを機に、以後、数多くの舞台衣装を積極的に手掛けるようになりました。
次第にハリウッド映画の衣装に忙殺されるほどの人気者となり、ハリウッドのMGMと契約、映画セットも制作するに至っています。
アールデコの寵児として知られるエルテですが、初期の頃はアールデコ調とは趣が異なります。美術専門家によると、初期のエルテは、アラビア式ターバンとロングケープを着た女性が曲線的に描かれ、東洋的神秘性を湛えた女性像が多くみられたといいます。
エルテの魅力は、1918年1月号の「ハーパース・バザー」の表紙を飾った「フランスの雄鶏」にみられるように、黒を基調とした赤や白を配する配色にあります。エルテのイラストはいつも長いターバン、羽付きの帽子、長いストール、長いケープといった女性的で曲線的にしなった優美なポーズの女性像が耽美的に描かれ、背景にも丸い月や花、曲線的なパネルが配されています。
しかし、1920年代のアールデコ期になると、エルテの作品からは昔のような優美さは消え、直線的で鋭角的な表現になり、女性のシルエットも当時流行した直線的なイメージへと変化をみせたといいます。
いずれにしても、エルテのイラストは非常にクリエイティブかつドラマティックであったため、当時のデザイナーたちのインスピレーション源となることも多く、また、エルテの手掛けた舞台衣装や劇場デザインの作品の数々は、アートのみならず、ファッション、エンターテイメントにまで大きな影響を及ぼしました。