関根正二は20歳で結核によってこの世を去った画家で、わずか5年間という画家生活の中で、16歳で描いた「死を思う日」が第2回二科展で入賞し、19歳の時に出品した「信仰の悲しみ」が樗牛賞を受賞するなど、画才を発揮した事で知られています。
しかし、この世を去った当初は高く評価されておらず、数年後に評価されるようになり、日本の近代洋画史を代表する画家として樗牛賞を受賞した「信仰の悲しみ」は2003年に重要文化財の指定を受けています。
関根正二は「せきねしょうじ」という名で通っていますが、本名は「まさじ」と言います。
福島県出身で屋根葺き職人の家に生まれ、一家が上京したため東京の深川で小学校時代を過ごしました。
同級生に伊東深水がおり、伊東深水の紹介で1914年に東京印刷株式会社に就職し、そこでアイルランド出身の詩人で作家のオスカー・ワイルドの作品を読み、オスカー・ワイルドの思想に触れます。
この頃から独学で絵を始め当初は日本画を描いていましたが、やがて洋画に転じ本郷絵画研究所に通います。
しかし、関根正二の作風はほぼ独学と言えるもので、この頃は様々な西洋絵画の影響を受けて制作活動にあたっていました。
会社を辞めて山梨県や長野県に行き、そこで洋画家・河野通勢と出会いルネッサンス絵画の影響を受けると素描の腕を磨き、段々と関根正二の世界観が出来上がってきます。
しかし、失恋や創作活動などで心身を病み、やがて幻を見るようになるとそれを隠す事もせず、見た幻をキャンバスに描くようになり、刃物で刻みつけるような線描デッサン、暗い画面でありながらも鮮やかなバーミリオン(朱色)を取り入れる事で展開される独特の幻想の世界を生み出し、「幻影の画家」と呼ばれるようになりました。
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