独自の歴史を歩んできた沖縄には数々の工芸品がありますが、多彩な色合いと気泡の独自の味わいを持つ吹きガラス工芸品である沖縄の「琉球ガラス」は、今や県を代表する工芸品のひとつとして全国に知られています。
琉球ガラスは、戦後の厳しい時代においてアメリカの新しい文化を吸収して学び、それを取り入れて、沖縄の風土に根ざした新しい文化として発展してきました。
琉球ガラスは、戦後の米軍による占領政策から生まれたといっても過言ではありません。 戦後、米軍が持ち込んだコーラやビールの廃棄ボトルを再利用することで、工芸としての琉球ガラスが確立されました。
当時、物のない沖縄の人々にとっては、アメリカ人たちのコーラという飲み物の存在を不思議に思っていたことでしょう。
生活必需品にも不自由していた、沖縄の人々はコーラの空き瓶を利用してみようと考え、まずは瓶を切って上下2つに分け、くびれたボトルネックの上部は、漏斗代わりとして使い、下部をコップとして使うことを思いつきました。
次に、形を自分たちの思うように加工するにはどうしたらいいか?と考え、空瓶を溶かして使うことを思いつきます。こうしたリサイクルの発想から琉球ガラスは生まれました。
戦後すぐの琉球ガラスは、駐留米国軍人からの需要があり、コカコーラの瓶の薄いブルーやビール瓶のブラウン、セブンアップの瓶のグリーンなど、アメリカ人に馴染みのある素地や色をリサイクル加工して、ワイングラス、シャンパングラス、サラダボウル、ガラス造花などアメリカ人のライフスタイルに即した製品がつくられました。
米軍関係者のニーズを背景に発展してきた琉球ガラスですが、1971年の本土復帰以前は60%がアメリカへ、20%が日本の本土に輸出されていました。 その後、沖縄が本土復帰し、1975年に沖縄海洋博覧会が開催されると、沖縄に観光客が数多く訪れるようになり、それに伴って琉球ガラスも観光土産品として発展し、グラスや食器、酒器、花器、水指などその種類も多岐にわたるようになりました。
琉球ガラスの原料は主にソーダ石灰ガラスで、製法としては吹き棹の先で溶けたガラスを巻き取って、棹の反対側から息を吹き込みながら回して膨らませる「宙吹き法」と、木型や金型に、溶けたガラスを入れて息を吹き込んでいく「型吹き法」が主に使われます。
ガラスの成形が終わると、あぶり窯へ入れて形を整え、600℃の徐冷窯に入れてゆっくり冷やして製品にします。
また、琉球ガラスによくみられる技法に「ひび割れ」というものがあります。これは成形途中のガラスを水の中に入れて、ひびを出現させるというもので、水の温度によって大小さまざまなひびを入れることができます。
その他、琉球ガラスの加飾法としては、ガラスを直接カットする「カットガラス」、砂をふきつける「サンドガラス」、ガラス素地を重ねる「被せガラス」、ガラスの原料を直接つける「斑紋溶着ガラス」などがあります。
泡ガラス
廃瓶の再利用という発想からはじまった琉球ガラスは、泡ガラスという独創的な製品も生まれました。
琉球ガラスは吹きガラス工芸ですが、吹きガラスの製作工程では気泡が入りやすく、クリアな透明さを第一とするガラスにおいて、本来であれば気泡の入ったガラスは評価が低くなります。吹きガラスを製作するにあたっては通常は気泡が入らないようにしますが、琉球の泡ガラスはこれを逆手に取り、意識的に気泡を入れることによって、小宇宙のような見事な作品をつくることに成功しました。
かつて泡ガラスは、廃瓶のみ利用してつくられていましたが、現在では赤のセレンやブルーの酸化コバルトなど、多くの発色剤を使い、色のバリエーションも大幅に増えました。
現在の琉球ガラスは、原料や技法も進化を続け、平成10年には沖縄県の伝統工芸品に認定され、沖縄を代表する伝統工芸品として、また生活の中に溶け込む芸術品として、人々に親しまれています。