倉田白羊は自然をモチーフにした作品を多数残した事で知られている洋画家で、山本鼎の提唱した農民美術運動の協力者としても知られています。
14歳の頃に親戚で洋画家の浅井忠の門下生となり、浅井忠が東京美術学校の教師に招かれたため、後を追うように東京美術学校に入学し、首席で卒業しました。
群馬県沼田中学校教師としてかなりの高給で迎えられますが、画家になる事を捨てきれず、3年後に退職します。
その後は太平洋画会に参加して作品を発表するかたわら、中央新聞社を経て時事新報社に勤務し、カットや美術展評などの仕事を受けていました。
ちょうどこの頃から「白羊」の号を用いるようになり、夏目漱石の美術批評に取り上げられた事をきっかけに評判となり、個展を開催する人気画家の階段を登り始めます。
その後作品が宮内省の買い上げとなり、小説家・押川春浪などの天狗倶楽部で挿絵を手掛けた事などが人気に拍車をかけ、日本画壇での確固たる地位を手に入れました。
勢力的に画家として活動を続けていた倉田白羊ですが、持病の糖尿病が悪化し右目を失明してしまいます。
それでも画家としての創作活動や後進の指導には一切手を抜かず、最終的には病状が悪化して完全に失明し、足立源一郎、梅原龍三郎、小杉未醒、山本鼎など一緒に立ち上げた春陽会に出品した「冬の野」他3点が最後の作品となりました。
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倉田白羊は若くから画家として作品を発表していましたが、天狗倶楽部の旅行先である朝鮮・満州で大自然の魅力にとりつかれると、画面から人間の姿が消え、ありのままの大自然を描くようになりました。
それは自らの視点そのままを画面に描きだしたように見え、絵に引き込まれる錯覚を感じます。
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