19世紀〜20世紀のフランスのガラス工芸家として、エミール・ガレと並ぶナンシー派といわれたのが、通称ドーム兄弟(Daum Frères)です。
兄 オーギュスト・ドーム(Auguste Daum)、弟 アントナン・ドーム(Antonin Daum)は、ガラス工芸メーカーのオーナー一族として「ドーム兄弟」の呼称が定着しており、工房名にもDaum Frèresを用いたので、通称として「ドーム兄弟」という呼称が使われています。
ドーム兄弟は、アールヌーヴォーの時代「ナンシーに生まれた日本人」ともいわれ、エミール・ガレとともに、その作風によってひとつの時代を築き上げた稀代の芸術家です。
ドーム兄弟は、フランスのロレーヌ地方ビチュの生まれですが、1871年、普仏戦争での敗北により故郷がドイツの手に渡ると、一家で東部ナンシーへ移住しました。
ドーム兄弟の父が、ナンシーのガラス工場を買収したことから、ドーム工房の歴史は始まりました。
はじめは食器や花瓶など日用品としてのガラスを生産していましたが、ドーム兄弟の父はガラス製作には素人であったため、大学で法律を学んだ兄のオーギュストを経営に招き入れましたが、軌道にのれないまま、父は、他界してしまいました。
そこで、兄オーギュストは、弟のアントナンを工房に迎え、ガラス創作や技術部門を担当させ、組織化・活性化を計りました。1889年のパリ万博で、ドーム工房は、テーブルウェアを出品しましたが、同じナンシーの工房のエミール・ガレの芸術性豊かな装飾ガラスが、高く評価されグランプリを取ったことに触発され、美術工芸品としてのガラス作りをスタートさせます。
このことがドーム兄弟にとっての転機となり、1891年ドーム工房は装飾工芸ガラスを制作する部門を設立し、日曜雑貨のガラス製品を作っていた町工場から、高級美術品をつくるガラス工芸メーカーへと脱皮を試み、これが見事に成功をおさめました。
ドーム兄弟の工房では、「アンテルカレール」というガラス素地に絵模様を描いて、その上にさらにガラスを被せるという手法を開発し、1899年に特許をとりました。この特許技法により、ガラスの絵模様に遠近感と奥行を表現することが可能となり、ドーム兄弟の人気は確定的なものとなっていきました。
ドーム兄弟のガラス工芸品には、アールヌーヴォーの特徴である自然への畏敬とともに、人間の繊細な心情が込められています。
また、装飾画家のウジェーヌ・ダマン、ガラス工のウジェーヌ・ガレなど優秀なデザイナーや職人を雇い、高度な技法を探究し、ドームならではの自然なガラスの美を試行錯誤し、独特の象徴的な世界を創り上げていきました。
ドーム兄弟は、蜻蛉、蝉、蝶などの自然の風物や静物に、象徴的な意味を込めて、それらをガラス上に表現しましたが、そこにはエミール・ガレと同じような、日本人的な感性への傾斜を見出すことができます。
芸術評論家によれば、ドーム兄弟のガラス工芸作品は、エミール・ガレと様式的には似ていますが、ガレほど哲学的ではなく、フランスに自生する珍しい花々を絵柄として多様に表現しています。
ドーム兄弟ならではの美の感覚で、フランスの四季の移り変わりや風景などをノスタルジックに表現した幻想的で大胆なガラス工芸作品は、多くの人々を魅了し、1894年のナンシー/リヨンの博覧会では金賞を受賞、1897年のブリュッセル万国博覧会でも金賞を取り、同年には兄のオーギュストにレジオン・ドヌール勲章が授与されました。
さらに、1900年のパリ万国博覧会では、ドーム工房が待望のグランプリを獲得しています。
エミール・ガレの工房は、彼が亡くなった後は閉鎖に追い込まれたのに対し、外部から芸術家や職人を招き、活躍の場を与えたドーム兄弟の工房は、第一次世界大戦の影響で操業を一旦停止しますが、以後創業再開し、激動の時代を生き抜いて今日に至っています。