フランス語で「新しい芸術」を意味するアールヌーヴォーは、19世紀末にフランス、ベルギーを中心に盛行した美術様式ですが、そのアールヌーヴォーを代表する画家の一人がロートレックです。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックHenri de Toulouse-Lautrec (1864〜1901年)は、19世紀末のフランスを代表する画家であり、ポスター作家でもありました。ロートレックは、日本美術への造詣も深く、ジャポニズム作家としても良く知られています。
ロートレックは、南フランスのアルビの代々続くトゥルーズ伯爵家という名家に生まれますが、8歳の頃、両親が不仲となり、母親と2人パリに住むようになり、その頃から絵を描くようになります。
母親はすぐにロートレックの絵の才能を見出し、画家からレッスンを受けるようになりますが、中学に入学した頃、左右の大腿骨を骨折して、骨格に障害を抱えることとなり、発育が停止して、成人しても背が低く、152センチほどでした。
ロートレックの胴体の発育は正常でしたが、脚の大きさは子供のままという体型で、そういったことから身内からも疎まれ、大学へも2度目で合格を果たしますが、退学するなど、孤独な青春時代を送りました。
パリを出て勉学の道を離れ、画家になることを決心したロートレックは、聖書や神話の歴史家を得意とする画家コルマンのモンマルトルの画塾に学びます。
身体的に成人と少し異なり、差別的な待遇を受けていたロートレックは、踊り子や娼婦の女性達に共鳴し、歓楽地のダンスホールやキャバレー、ナイトクラブに入りびたり、デカダンス(退廃的)な生活を送りました。
モンマルトルでロートレックは、ゴッホやエミール・ベルナールに出会っていますが、彼が惹かれたのは、当時流行していた印象主義や外光主義の絵画ではなく、人工的な光に照らされたドガが表現するような光景でした。
画家としてのデビューは、1889年の第5回アンデパンダン展ですが、ロートレックを有名にした作品は、1891年の初の石版画『ムーラン・ルージュのラ・グーリュ』というポスターです。
「ムーラン・ルージュのラ・グーリュ」は、ロートレックがお酒を飲みながら戯れにテーブルクロスに描いたデッサン画がもとになったといいますが、この作品は、日本の浮世絵の影響を受けており、大胆な構図や明確な形象、コントラストの効いた色彩、文字デザインの面白さなどにより、ポスターを芸術の域にまで高めた美術史上に特筆されるロートレックの最高作のひとつと称えられています。
このロートレックのポスター作品の大ヒットにより、客がムーラン・ルージュに殺到し、ロートレックにもポスターの注文が相次ぎ、夜の世界を謳歌する人々や、そこで働く女達を描いた作品を中心に絵画・素描・ポスターを制作ようになりました。
重度のアルコール依存症となっていたロートレックは、のちにアルコール中毒の発作を起こして強制的に3ヵ月間入院し、退院後も飲酒を止められず、1901年には片足が麻痺、さらに同年脳出血を起こして死去しますが、ポスターを芸術の域にまで高めた功績は大きく、ロートレックは「プティ・トム(小さき男)、グラン・タルティスト(偉大なる芸術家)」と形容されています。
ロートレックの代表作
ムーラン・ルージュのラ・グーリュ
ムーラン・ルージュにて
洗濯女
ムーラン・ド・ラ・ギャレットにて
踊るジャンヌ・アヴリル
ジャルダン・ド・パリのジャンヌ・アヴリル 等
ロートレックの特徴
美術評論家によるロートレック作品の特徴は以下の通りです。
・役者絵…日本の浮世絵の「役者絵」に相当する、当時人気の歌手やダンサーなどを描き、浮世絵の構図のような横顔のクローズアップや、スター性を強調するために大胆なコントラストで、注目を集めるよう描かれています。
・躍動感…ロートレックは、カンカン踊りや大開脚といたダンサーや歌手の踊りや姿態の動きを躍動感あふれる素早いタッチで表現し、ポスターに新機軸をもたらしました。
・大胆な構図…従来のポスターの左右対称という構図という概念を打ち破り、葛飾北斎や安藤広重のとった構図のような左右非対称の構図や部分の拡大など主題を印象づける技法をとりました。
・輪郭・黒い影…浮世絵の影響を受けたロートレックの作品は平面的ですが、描く人物を輪郭線でくくり、オレンジや黒といった明確なコントラストで仕上げ、彼独自の新しい手法により表現されています。 また、江戸時代幕末期の浮世絵師・月岡芳年の浮世絵にみられるような黒い影の技法が「ムーラン・ルージュのラ・グーリュ」にみられます。
「ムーラン・ルージュのラ・グーリュ」のラ・グーリュは女性ダンサーの名ですが、ラ・グーリュと男性ダンサーの輪郭を明確に描き、後ろのその他大勢を黒の影で表現しています。