シノワズリ Chinoiserieというフランス語は、中国(シナ)→中国趣味、すなわち「中国趣味のもの」「中国風の装飾品」を意味します。
美術用語としてのシノワズリは、広い意味をもち、ヨーロッパの建築、家具、衣装、陶磁器、絨毯、扇子などさまざまな分野で流行した中国趣味の現象をさして、シノワズリといいます。
シノワズリの流行した時期には2つの時期があり、第1次シノワズリは13〜14世紀の中国風の絹織物の流行です。7世紀に中国の絹織物の技法がビザンティン(東ローマ帝国)に伝わったのを機に、イタリアを中心にヨーロッパ産の絹織物生産が盛んになりました。そして、13世紀〜14世紀には中国の龍や獅子といったオリエンタルな模様が施された絹織物が流行し、この時期が第1次のシノワズリブームといわれています。
第2次シノワズリは、17世紀〜19世紀で、ロココ調趣味と融合し、シノワズリの人気が最高潮となりました。当時ヨーロッパでは東インド貿易が盛んになり、またシルクロードを渡るなどして、インドや中国などアジアからの様々な品物が渡欧するようになったことから、中国の美しい文様や装飾に東洋の独特な神秘的情緒を感じ、貴族の間でヨーロッパの人々が創造した中国趣味が大流行しました。
ヨーロッパの宮殿では次々と“中国の間”がつくられ、貴族は争って染付や白磁、漆器を買いあさったといいます。 中国・景徳鎮の染付や日本の色絵陶磁器の模倣品が、ドイツのマイセン、イギリスのウースター、オランダのデルフトなどでつくられ、人気を集めました。
シノワズリは中国趣味と訳されますが、ヨーロッパの人々にとっては、日本のものであっても、中国のものであっても同じオリエンタルな異国情緒あふれる魅惑的な品々という、同じ枠の中にあるものという意識であったようです。
遠い中国・オリエンタルへの憧憬を抱いた中国的様式のヨーロッパ的表現であったシノワズリは、18世紀のロココ調のヨーロッパ家具や生活様式と融合し、大いに栄えました。
シノワズリは、フランスを中心にヨーロッパ各国で、絵画・陶磁器・絹織物・工芸品・家具・調度品ばかりでなく、庭園様式やインテリア全般に及ぶほどの流行となりました。
シノワズリ〜建築・庭園
晩年のルイ14世は、愛人のモンテスパン伯爵夫人のために、建築家のルイ・ル・ヴォーに命じて、ベルサイユ宮殿の一角に「陶器のトリアノン」(1671年)を建てました。「陶器のトリアノン」は、外壁に東洋的なデルフト陶器をめぐらせ、優美なロココ様式と結びつき、シノワズリブームを加速させました。 建物だけでなく、シノワズリは庭園様式にも取り入れられ、マリー・アントワネットはベルサイユ宮殿のプチ・トリアノンに中国風庭園を取り入れました。
また、当時はシンメトリックな生け垣や噴水の幾何学的な庭園が主流でしたが、18世紀初頭のイギリスで、中国庭園にヒントを得た風景式庭園(Landscape Gardens)が生まれました。
シノワズリ〜絵画・屏風・家具
18世紀に活躍したロココ美術を代表する画家フランソワ・ブーシェの1742年の作品「中国の庭」には、中国的な衣装をまとった人々が田園風の庭の四阿の前で優雅に遊んでいる風景が描かれ、また「化粧」(1742年)では、貴族の女性たちが、中国風の絵が描かれた屏風の前で化粧をする姿が描かれています。これらの絵画から、シノワズリの屏風が室内で使われていたことがうかがわれます。
家具には、ルイ15世の書斎に置かれたシノワズリの事務机がありますが、これは有名な家具デザイナーであったジル・ジュベール(王室調度品管理部の常任家具職人)の手によるもので、日本的な赤漆の朱色のイミテーションに、中国風の風景が描かれています。
シノワズリ〜陶磁器
ヨーロッパ王侯貴族の中国磁器への憧れは凄まじいほどで、白磁の首長の水指や、コバルトブルーで染付けの皿などは、宝石に等しい価値があったともいわれています。
1700年初頭に、ザクセン公アウグスト2世がドレスデン郊外のマイセンでヨーロッパ初の磁器生産に成功し、その磁器技術は、たちまちウィーン、ヴェネチア、コペンハーゲンに拡散し、ポンパドール夫人は1740年にセーブルで磁器生産にこぎつけました。
セーブル磁器をはじめとするヨーロッパの磁器メーカーは、カップ&ソーサー、ティーポット、ディナーセット、壺などに、中国人の風情を描いた雅宴画風のシノワズリ模様を多く取り入れました。