日本画のジャンルに風俗画というジャンルの分け方があります。
風俗画は、庶民の普段の生活を描写し、日常生活の様々な場面を描いた絵のことで、風俗画をみれば、その当時の人々の暮らしぶりや服装などを垣間見ることができます。
日々の人々の営みを描く風俗画は、日本の中世(安土桃山〜江戸時代)において好んで描かれたジャンルといわれています。
広義の風俗画は、すでに古代からあり、四季絵や月次絵も含まれます。
四季絵とは、月次絵と呼ばれ、春夏秋冬の順に人事や自然を選び描いた絵画で、平安時代初・中期に和歌と結びつき、風俗の移り変わりが一目でみられるように屏風や障子に描かれました。代表的な例としては、公卿から庶民に及ぶ各層の月次の風俗を描く、八図を貼り付けた小屏風の重要文化財「紙本著色月次風俗図」があります。
風俗画の移り変わり
平安時代〜鎌倉時代…年中行事絵巻、縁起絵巻、山水屏風(宮廷貴族、高位の武家)
室町時代…四季耕作図、草紙絵巻(貴族、僧侶、高位の武家)
戦国時代〜桃山時代…洛中洛外図、祭礼図、遊楽図(武家、上層町衆)
江戸時代…浮世絵(庶民)
近世を迎える室町時代後期に入ると、より人物を中心とした風俗に関心が高まりました。
人間を画中の点景としてではなく、独立したメインの画題として扱うようになり、様々な階層の人が画題となり、近世風俗画が成立しました。
風俗画は桃山時代に入って、大きく花開き、武家風俗画、遊楽図、祭礼図、洛中洛外図、歌舞伎図、合戦風俗図、南蛮屏風などが描かれました。初期の例として、狩野秀頼の遊楽風俗画「観楓図屏風」(国宝)があげられます。
桃山時代の風俗画は、やまと絵にその源流があるため、空から見下ろしたような俯瞰的な表現のものが多くみられます。描かれた人々の様子は、その時代のドキュメンタリーでもあり、特に人物を克明に描く祭礼図などでは、人々を同じ方向に配列してリズミカルで活気ある世界を作り出しています。
戦国時代から江戸時代初期にかけては、京都の景観がめまぐるしく変化しました。風俗画の流れから、絵画で都市景観を描いた典型的なものが洛中洛外図で、その時代ごとの京都の景観を映した洛中洛外図が七十点余、現存しています。
洛中洛外図はその時代を映すもので、室町の足利将軍の時代、聚楽第や伏見城があった時代、また、桃山時代後期には二条城も描かれました。十六世紀の洛中洛外図は町田本、上杉本などが伝えられるのみです。
上杉本は織田信長が上杉謙信に送ったもので、十六世紀中ごろの景観図です。洛中洛外図は、都市景観図なので、全体に隅々まで描かれ、建物や風俗は細密な濃絵(だみえ)技法が用いられました。
こういった洛中洛外図から派正して野外遊楽図や賀茂競馬図屏風、祇園祭礼図などが生れました。
長い戦乱を経て天下統一となった桃山時代は、急速に民衆の風俗文化が発展した時期でもありました。それまでの厳粛な絵画とは異なり、近世は民衆による念仏踊りが源流となった躍動感あふれる豊国祭礼図、相応寺屏風などがみられます。
時代の主役ともいえる町衆は、北野天満宮内ではじまり、またたく間に流行した歌舞伎という新しい文化を育てました。
踊念仏から始まったという女歌舞伎を画題にした歌舞伎図には、阿国歌舞伎図(重要文化財)、四条河原図、若衆歌舞伎図、野郎歌舞伎図などがあります。
そして、中世になるとさらに画題が広がり、花鳥画ではなく、花そのものや、虎や獅子、象、猫などが単独で描かれました。人物画もそれまでの高尚な人間像だけではなく、野郎や若衆、湯女などが描かれるようになりました。初期の例として、彦根屏風、松浦屏風、本多平八郎姿絵などがあげられます。
このように、日本における風俗画は、年中行事絵巻、縁起絵巻などの形で平安時代から風俗描写がみられましたが、桃山時代にはさらに発展し、独立した近世風俗画として、洛中洛外図、祭礼図、遊楽図、歌舞伎図などが登場し、この流れは江戸時代の浮世絵の隆盛へとつながっていきました。