古来、朝鮮で受け継がれてきた装飾技法に、素材を埋め込むことで文様を表す象嵌という技法があります。
象嵌の象は「かたどる」、嵌は「はめる」という意味があります。象嵌は陶芸以外の諸工芸においても広く用いられる技法ですが、陶芸の分野においては、胎土と異なる色土をはめ込んで装飾する技法のことをいいます。
朝鮮半島での象嵌技術は、10世紀頃に出現し、11世紀後半より盛んに製作される様になりました。935年に朝鮮半島では高麗王が成立し、中国の影響を受けながらも、貴族社会の優雅な高麗文化が開花しましたが、その中心となったのが象嵌青磁ともいわれる高麗青磁です。
高麗青磁がはじまった10世紀初頭のころの製品は、作風も中国の青磁に似ていましたが、次第に高麗独特の美感を表すようになり、美しく澄んだ青緑色の青磁へと発展していきました。 そして12世紀前半には、洗練された精緻な高麗青磁は黄金期を迎えます。北宋(中国)の使節団の一員として高麗を訪れた徐兢 (じょきょう)の見聞記には、高麗青磁についてその色を「翡色」と称え、天下一品と評しました。
高麗青磁にみられる最大の特徴は、釉薬とともに象嵌装飾にあるとされています。高麗青磁の象嵌は、器面に鏨などで線刻、印刻した凹文様を施し、白土や赤土を埋め込み、素焼きして青磁釉を掛け焼き上げると、その部分が白と黒に発色する技法で、非常に高度な技術を必要としました。
この緻密で繊細な文様が器面に施された象嵌青磁は、中国にもみられない高麗独自の青磁技法であり、 静けさと幽玄さをたたえたその魅力は高麗陶磁を象徴するものです。
12世紀中頃〜13世紀にかけては、辰砂(還元炎で赤く発色する銅釉)を加えて色彩効果をあげたり、文様部分を残して地を象嵌する逆象嵌という技法も現れ、より多彩になった象嵌青磁は全盛期を迎えました。しかし、高麗末期には、象嵌青磁は下降線をたどり、その技法は粉青沙器に受け継がれていきました。
粉青沙器:粉粧灰青沙器の略称。李氏朝鮮時代の前半につくられた磁器の一種で、鉄分の多い鼠色の陶土に肌理細かい白土釉で化粧掛けを施し、その上から透明釉を施して焼成したもの。
高麗青磁にはこのほか、釉下の素地に鉄で絵付を行って青磁釉を掛けて焼く「鉄絵青磁」、鉄釉を全面にかけて青磁釉をかけた「鉄砂釉青磁」、金彩を施した「画金青磁」辰砂を釉下に施した「辰砂青磁」などがあります。鉄絵青磁では牡丹文・唐草文などをのびのびと描いた素朴な味わいの水注や壺などが盛んにつくられました。