今回は、骨董品としても人気の高い喫煙道具のひとつである、たばこ盆についてです。
今日では見かけることが少なくなりましたが、かつて日本での煙草は、刻みタバコでした。刻みタバコは、煙管(キセル)という日本独自の喫煙道具に詰めて、たばこ盆の炭火を使って火を点けて、たばこを喫っていました。
煙管とともにたばこ盆は、骨董品としても人気のアイテムで、また、茶道の正式な茶事での待合の際にも用いられています。
たばこ盆は「莨盆」、「煙草盆」とも記され、煙管をのせる「煙管盆」ともいわれます。
まずは、煙草(たばこ)そのものについてですが、たばこは、なす科のたばこ属の植物です。そのたばこの植物としての起源をたどっていくと、アメリカ大陸に行き着きます。アメリカ大陸の古代文明でのたばこは、神々に捧げるための植物として、神への供物として儀式で重要な役割をはたしていました。
その後、たばこは薬としても使われていたようですが、喫煙道具として、たばこを利用する風習もアメリカ新大陸で生まれたものと考えられています。
新大陸を発見したコロンブスの航海により、ヨーロッパ各地へ、喫煙道具としてのたばこが広まりましたが、日本へ渡来したのは、南蛮貿易が盛んだった16〜17世紀にかけてといわれています。
日本でも、たばこは、すぐに栽培され、江戸時代の5代家綱の頃には、たばこは庶民を中心とした嗜好品として親しまれながら、独自の文化を形作っていくこととなりました。
日本ならではの刻みタバコが世に現れたのは、江戸時代中期のことで、この刻みタバコの登場により、それまでヨーロッパのパイプなどを模倣して作られていた煙管もデザイン性に富んだ形へと変貌を遂げます。そして、煙管、火入、灰吹といった喫煙具の一式を収めた盆「たばこ盆」も作られるようになりました。
喫煙道具一式をまとめた、たばこ盆は、日本人が煙管を使っていたころの灰皿のようなもので、最初は、香盆を見立てたものでした。喫煙に必要な火入・灰吹・煙草入・煙管などをひとつにまとめた莨盆は、刻み煙草の喫煙用に便利なように改良され、機能的に優れたものとなっていきました。
たばこ盆は、江戸時代の人々の間では「客あれば お茶より先に たばこ盆」と言われるほどに広がりを見せ、どこの家庭にもある調度品となっていきました。
たばこ盆は、炭火を収める“火入れ”、灰を捨てる“灰吹き”、刻みたばこをしまう“たばこ入れ”など、煙管での喫煙に必要な道具を1セットにしておくことができる便利な盆で、客が来る度に座敷へたばこ盆を用いて喫煙道具が出されることから、「客が来たら座敷に出たまま引っ込まない女中」…「でしゃばり」のことを指す花街の隠語も生まれました。
【たばこ盆での煙管の使い方】
煙管に、たばこ入れに入った刻みたばこを詰めて、火入れの中に入っている炭で、火をつけてたばこを吸います。吸い終ったら、吸殻を、少量の水が入った灰落としに捨てます。火入れは、今でいうライター、灰落としは、灰皿という役割です。
江戸時代のたばこ盆は、社交の場やもてなしの場で使うことから、機能性だけではなく、見た目や装飾などの「美」も非常に重視されました。そうした品では蒔絵や彫刻、銀細工などが施され、浮世絵の中にもその姿が盛んに描かれています。
また、宗旦好のたばこ盆があるように、宗旦の時代に茶席に、たばこ盆が登場したと考えられています。
茶事においては、寄付、腰掛、席中では薄茶が始まる前に持ち出されます。濃茶と懐石にはたばこ盆は出されず、大寄せの茶会では、最初から正客の席に置かれます。
茶道でも用いられるたばこ盆は、手付のものと手無しのもに大別され、唐物・和物があります。
唐物はそれほど多くはありませんが、青貝、漆器、籠地のものなどがあります。
和物のたばこ盆には、桑・桐・松・唐木などの木地、一閑張り、真塗、溜塗、また、部分的に蒔絵を施したものもあります。
たばこ盆の形は様々で、木瓜、櫛形、行李蓋、文箱など多彩で、宗旦好の一閑釣瓶(手付)、行李蓋(手無)をはじめ、歴代家元の好み物も多く伝えられています。