いわの美術では、近代の大阪を代表する日本画家 菅楯彦の作品買取を致しております。
菅楯彦は特定の師を持たず、公募展とは距離をおき、生涯を通して「市井の絵描き」として制作を続け、現在も美術史上の評価が十分になされていない作家とされています。
菅楯彦は、鳥取県倉吉藩士の長男として生まれますが、時は明治維新の頃であり、武士社会崩壊のため、父は趣味であった絵で生計をたてようと、楯彦11歳の時に大阪へ移住しました。
菅楯彦は父から日本画を学びますが、その父が急死してしまい、代わりに幼かった楯彦が看板やちょうちんの図柄を描いて生計をたてようとしますが、子どもの楯彦に注文が来るはずもなく生活は逼迫し、赤貧洗うが如きどん底生活に陥ります。
その後も菅楯彦は、師につかず、大阪の博物場に入り浸って古今の名画を模写し、独学で大和絵をはじめ円山四条派・狩野派・浮世絵など、分け隔たり無く研究に研究を重ねます。さらに、日本三名妓の一人と云われた大阪富田屋の芸妓八千代との結婚を経て、画家としての転換期を迎えるなどし、写生体を基調とした独自の画風を築きあげていきました。
菅楯彦は、大和絵風の歴史画や大阪の風物を好み、晩年は昔日の浪速風俗を主題として連作をつくり、高い評価を得ました。 いわの美術では、菅楯彦の作品の買取を行っております。菅楯彦の作品の買取価格やご不明な点がございましたら、お気軽にお問い合わせ下さい。
「浪速の絵師」と呼ばれ、生涯にわたって浪速の風俗を描き続けた日本画家 菅楯彦。いわの美術では、菅楯彦の肉筆掛軸などの作品を高価買取致しております。
郷土歴史などにも関心が深かった菅楯彦は、大阪の風景だけでなく、住吉踊りなどの郷土芸能や古今の民衆風俗を主題にした作品を多く手掛けるようになり、名声を高めていったといいます。
菅楯彦は、自在で美しい線描の独自の表現力を有し、復古大和絵調の作風や墨の濃淡のみ描く影絵などの絵を得意としました。
菅楯彦の作品は声望を得て人々に広く愛されましたが、中でも消えゆく大阪の風情を描いた「浪速風俗画」は、類まれなる菅楯彦独特の表現力の傑作として広く人気を博しました。
菅楯彦の作品は現在でも市場で人気が高く、いわの美術でも買取を積極的に行っております。菅楯彦の作品買取査定では、作品により評価・査定額も異なります。ご売却の菅楯彦の掛軸などの作品がございましたら、作品全体と作者の落款や共箱などのお写真をお撮りいただき、メールに添付して弊社宛送信いただければ、買取担当がお調べしておおよその買取査定額をお伝えすることが可能となります。買取査定は無料です。
菅楯彦の作品買取に関してご不明点・ご質問などございましたら、遠慮なくお問合せください。