松本竣介は戦時中、軍が「国策のため筆を取れ、戦争画を描け」と命じたのに対し、ただ一人異を唱え、「画家は腹の底まで染みこんだ肉体化した絵しか描けぬ」と言い放ち、軍による芸術への干渉に抗議する文を美術誌に発表したことで「抵抗画家」として知られており、独特の画風に注目を浴びている洋画家です。
その作風は、都会の風景やそこに生きる人々を理知的に描いており、青系統の透明な色調のなかに無国籍的な都会風景や人物をモンタージュ風に描いたもの、茶系統のくすんだ色調で東京や横浜の風景を描いたものなどがあります。
どちらの作品も暗く沈みながらも静謐な美しさを持っており、昭和を代表する名作を生み出しています。
松本竣介は、幼い頃に患った脳脊髄膜炎によって聴力を失い、兄から油絵具一式を貰った事をきっかけに絵を描く事に夢中になり、画家を目指すようになりました。
旧姓は佐藤といい、松本禎子と結婚してから松本姓を名乗るようになり、名前の「俊介」を「竣介」に改めるのは1944年の作品からです。
聴覚に障害を持っていた事から、戦時中の徴兵は免れ、ほとんどの画家が戦争画を手掛けている中、松本竣介だけはただ、黙々と東京や横浜の建物や街角をスケッチしており、違う目線からの作品は戦争に対して訴える何かを感じる事ができます。
一時は政府に目を付けられ、監視されながら制作を行う事もありましたが、気管支喘息によって36歳という若さで亡くなっています。
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松本竣介の作品は油彩画はもちろん、リトグラフやスケッチなども残しており、戦時中もひらすら絵を描き続けていましたから、36歳という短い生涯の中でもたくさんの作品を描き残しています。
独特の雰囲気を持った作風ですので、「もしかしたら…」とご自宅にある作品が松本竣介の作品の可能性もあるかもしれません。
作品には「MATUMOTO SHUNSUKE」と書いてあるので、分かりやすいかと思いますが、ご自身で判断できない場合は、いわの美術にご相談頂ければ無料で鑑定を行っておりますので、お気軽にご相談下さい。
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