織部焼と言えば、織部釉と呼ばれる深緑色の焼き物が有名かと思いますが、織部焼には織部黒・黒織部、青織部、赤織部、志野織部と呼ばれるほど釉の種類がございます。
その中でも古い時代の織部焼には深緑色の青織部が多く作られており、左右非対称の形に具象的な模様が描かれている事が特徴です。
この他にも一度綺麗に形成した後、わざと壊して継ぎ合わせたものや、故意にひび割れを起こした作品など、織部焼は何とも言えない魅力を携えており、多くのファンがいらっしゃいます。
古い織部焼が作られていたのは戦国時代・桃山時代の慶長10年頃から元和年間までで、織部焼の名前の由来や作られていた期間はすべて戦国武将で茶人であった古田織部が関係していると言われています。
古田織部は歪みに美を見出し、綺麗に作った茶碗をわざと歪ませた事に趣を感じ、織部好みと呼ばれるようになりました。
いつしかこの形の焼き物が流行の形となり、連房式登窯を利用して美濃地方で大量に日常使いの食器として作られていました。
しかし、江戸時代に入ると徳川家康の怒りを買ってしまった古田織部は切腹を命ぜられ、古田織部が絶命した後、まるで神隠しにあったように織部焼は町中から姿を消してしまいました。
古い時代の織部焼はまだまだ謎の多い焼き物ですが、最近の研究や発掘調査によってゴミ捨て場に大量の織部焼が捨てられていた事が分かり、大切な資料として保管されています。
そのため、古い時代の織部焼には歴史的価値が付いているので、高価買取となる場合がございます。
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古い時代の織部焼は大量生産の焼き物でしたので、作家というものが存在しませんが、古田織部の花押が押された織部焼が見つかっており、古田織部の花押付の織部焼は高価買取が期待できます。
この他にも織部焼には近代作家が制作したものがございます。
有名な織部焼作家といえば、人間国宝を辞退した北大路魯山人ではないでしょうか?
北大路魯山人は、無類の織部好きでも知られ、織部焼だけのお茶事を催した事があるそうです。
美食家としても有名であった北大路魯山人が作る織部焼は、器に載せた料理が映える素晴らしい作品が多く素晴らしい作品が多く、晩年の作品には織部の緑を生かす総織部が多くなっていきました。
ちなみに、織部焼はいまだに人間国宝に認定された陶芸家はいないそうです。
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