月琴
丸型の琵琶のようなこちらの弦楽器をご存知でしょうか?
月琴(げっきん)は東アジアのリュート属の撥弦楽器で胴の形が満月に似ていて音は琴に似ていることから「月琴」と名付けられた楽器です。月琴は中国で「阮咸」(げんかん)という弦楽器から派生した楽器であり、その構造は阮咸とほぼ同じです。明清楽という中国の清時代の音楽を演奏するにあたって月琴はなくてはならない楽器でした。
月琴は棹が短く,海老尾と呼ばれる部分は後方へ少しまがっています。
義甲というギターで言えばピックに当たる道具を用いて音を出し、4弦ある弦数の2弦ずつを同音に調弦して演奏します。昔はフレット数は13〜14でしたが、現在では弦数が3弦または4弦でフレット数が17あるいは24の月琴も作られており音域が拡大したため自由に転調ができるようになりました。
明清楽
「明清楽」は中国の明朝と清朝の音楽という意味を持ちます。明清楽は江戸末期から明治時代初期にかけては女性の稽古事として息づいていました。明治時代の風俗や人々の暮らしの様子を記録した情報を調べていきますと明治時代の彩色写真の中に、月琴をもつ女性の写真がみつかり、明治時代当時の月琴の音楽が収録されたレコードも遺っていることから、明治時代に明清楽が流行していたことがわかります。日本での明清楽は、江戸時代の幕末のころに長崎に来航してきた清朝のひとびとによって伝えられた清の音楽のみが伝承されています。
江戸時代に清の商人によって長崎に入ってきたばかりのころの明清楽は、主には男性の文人の趣味・教養を披露しあう社交の場であった煎茶道の茶会で演奏される俗曲として盛り上がっていました。明清楽に使われる楽器のうちで螺鈿細工などの手工を凝らされた楽器は、煎茶道の茶室に飾る調度品、美術品としても愛玩されたといいます。坂本龍馬の妻のお龍も月琴を好んで弾き、べっ甲の義甲を使っていたと言われています。
清楽と月琴は明治の中頃までは女性の稽古事、俗曲に不可欠な楽器として人気があったのですが、日清戦争と富国強兵を指向する政策の影響があったために当時の人々は敵国となってしまった清の音楽を楽しむことはできなくなります。明清楽を演奏されることは日本の近代化に伴って急速に減ったうえ、西洋音楽が流入して音楽教育も西洋音楽の理論が基本とされるようになりました。娯楽としては聞き手が楽譜の本を買って演奏して楽しむ俗曲から、演奏家の演奏を演奏会で鑑賞するか、レコード、ラジオを聞いて楽しむ演歌の流行への移り変わりがあったことにより明清楽の演奏を楽しむ文化はぱったりと失われてしまいました。現代ではこうした明清楽や明治の俗曲、当時の世相を反映した歌詞のある音楽を再現する試みが研究者や演奏家によって行われているため、明清楽に興味がある若い世代が増えています。月琴(げっきん)をはじめとして唐琵琶(からびわ)明笛(みんてき) 胡琴(こきん) 太鼓(たいこ)等の楽器を使用し、ゆっくりとしたリズムで奏でる明清楽を聞くと、明治時代の文化流入と近代化の混然とした中にある夫人の午後のひと時を感じ取ることができます。
明清楽 曲目
明清楽の曲目はいずれも短調が多く、少し哀しみもあるやさしいメロディをしております。
”九連環”(きゅうれんかん)”茉梨花”(まつりか)ほか13曲(替歌2曲含む)が演奏されました
現在伝承されている曲目は
- ”算命曲”(さんみんきょく)
- ”櫓歌”(ろか)
- ”茉梨花”(まつりか)
- ”平板調”(ぺいぱんのしらべ)
- ”西皮調”(すいぴのしらべ)
- ”金銭花”(きんせんか)
- ”紗窓”(しゃそう)
- 明楽の特徴をもった”獅子”(しし)
以上の曲目があります。曲を聞いてみますと子供たちが口ずさむ「でんでら竜」のリズムや「チャルメラ」「こんぴらふねふね」に似た昔懐かしい雰囲気です。現代の明清楽は昭和53年に「明清楽」として国と長崎県から同時に無形文化財指定を受けました。また、明清楽を保存するための活動が長崎明清楽保存会によって行われています。
月琴 買取
いわの美術では月琴をお買取りしております。特に明治時代に日本国内で作られた月琴は骨董としての価値を持ち、また明清楽の保存に努める人々からも求められる品となっております。
- 共箱がついた月琴
- 柱、義甲、軸が象牙などの場合
- 胴や棹の全体が紫檀などの高級木材で作られた月琴
- 目摂に上等な素材をつかった月琴
- 螺鈿が凝っている月琴
上記のような月琴は買取ができる可能性があります。
あらかじめ月琴の全体の写真をお撮りになり、メールまたはお電話にてお問い合わせください。