洲浜文について
洲浜(すはま)、または「須浜」とも書きます。 河から運ばれてきた土砂が積もった洲によって入り組んだ形となった浜辺を文様化したものを洲浜文といいます。
浜辺を表しているため、多くは波や鳥と共に用いられ「洲浜取り」として文様の区切りに使われる場合もあります。
中国では仙境蓬莱山を真似て飾った台を意味しています。 日本では平安時代から、洲の形に似せた台を松竹梅やつるかめで飾り、蓬莱山にみたてた洲浜台が慶事などでつかわれるようになりました。
洲浜文は歴史が古い部類の文であり、洲浜を家紋に用いた歴史人物には武田信玄の軍師として活躍した山本勘助が挙げられます。左三つ巴を軍旗の印として用い、洲浜を家紋に用いていたといいます。シンプルながら主張があり、屋根瓦の一部分や和菓子の中にも、この文様が使われているものが見られます。
洲浜文がでてくる例
菱川師宣「衝立のかげ」 17世紀後期
春画十二図、一組のうちにある巻頭部を飾っている一図です。十七世紀後半に江戸で活躍した浮世絵の開祖・菱川師宣の作となっています。延宝期のこの版画は素朴な墨摺に筆で彩色を加えたもので、男女の頬にほんのりと差された紅が高揚感を醸し出しています。
縁側に菊が揺れていることから、季節は秋のひと時のいち場面でしょうか。どこかの武家の子息と見て取れる男性の着物の文様は立涌と波涛という組み合わせです。
しなやかな女性の着物の組み合わせは花菱の帯、洲浜の打掛です。
緋色の襦袢をくわえている様子の女性を男性が抱き寄せる様子から、二人は「懇ろの仲」…といった所でしょうか。浮世絵版画草創期の古い形態を伝える、ほがらかな作品ですね。
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