”Japan”とジャポニズム
西洋アンティークの世界観における”Japan”と”China”が何であるかは、すでにお分かりの方もいらっしゃることでしょう。
Japanといえば漆、Chinaといえばボーンチャイナを中心とした陶磁器に対して、そう言い表されております。
こうした呼び方がどうして残っているのか、人により解釈は様々ですが、やはり西洋人の価値観から見た評価においては、中国においては陶磁器の技巧への評価が高く、日本においては漆、塗り物の美しさへの評価が高かったため、ということが一つあげられることでしょう。
ちょうど江戸時代の終わりにさしかかった日本には、まだ鎖国制度があり、貿易は長崎の出島から行われていました。
ヴィンセント・ヴァン・ゴッホは、輸入品の茶碗や皿の包み紙として使われていた浮世絵を発見し、家に持ち帰って葛飾北斎や歌川広重の作品を必死に模写していました。有名な水仙や菖蒲の作品とゴッホの鮮やかな作風はそのような出来事がなければ、生まれてはいなかったのです。
”ジャポニズム”の絵画に描かれた骨董・古美術
日本もついに鎖国が幕を引き、写真が伝来しました。文明開化の幕開けや世界博覧会が開かれる国際化の波から、質の高い日本の工芸品は好まれ、ヨーロッパ圏への輸出品として国家の維新のためにも、工芸品の生産は強く求められる事となりました。
明治政府の発足とともに身分制度が廃止され、日本で様々な道具を作る職人たちも、日用品や輸出用の工芸品を作る事への転向ができた者、難しかった者により、さまざまな運命の変遷を辿っていきます。(このことについてはいつかの機会に…)
18世紀のジャポニズムの表現の例として画家を示しますと、
- ルノワール
- ホイッスラー
- ホイッスラー・サークルと呼ばれたバルビゾン派の一部の画家たち
- エドゥアール・マネ
- クロード・モネ
- ジェームス・ティソー(フランスの画家、版画家)
- ギュスターブ・レオナール・デ・ジョン(ベルギーの肖像画家、上の画像の作品を描いた作家です。)
- グスタフ・クリムト
- オディロン・ルドン といった作家たちが挙げられます。
彼らは、日本の調度品を整えた中で着物をまとい、扇子や団扇をもって佇む女性や少女の姿を肖像画や静物画を描いて遺しております。すこしマイナーな作家名もありますが、いわの美術が取り扱う作家名が多く含まれております。
絵の査定の際は、絵の全体とサイン、版の場合はエディションナンバーのわかるお写真をお願いしております。
美術館へ行かれた際には、こうした画家の描いたジャポニズムの肖像画を注意深くご覧になると、その時代の雰囲気を感じ取ることができると思います。今でいうところの骨董品、美術品としてさまよえる品々が、画中の時代にはどのように愛でられていたかを感じるヒントがあることでしょう。画像の画中では、団扇や和綴じ本は無造作に床に転がり、着物はドレスのように纏われていますね。
18世紀のフランス、イギリスをはじめとしたヨーロッパ諸地域の貴族の生き残りの方々や、産業革命でブルジョワ(新興貴族)となることができた当時の一定の階級の方々の間では、オリエンタルな東洋として目に映る日本や中国、アジアの工芸品を家具調度に用い、衣服も合わせてスタイルを統一することは「ジャポ二ズム」という知的センスの潮流を示す意味で、周囲から憧れの的となるような暮らしのスタイルでした。
音楽・舞台芸術で言いますとオペレッタの「ミカド」や、有名なプッチーニのオペラ「蝶々夫人」初演もこの時期にあたってまいります、そしてクロード・ドビュッシーの交響詩「海」楽譜の表紙にも、北斎が描いた波のモティフがデザインされています。蝶々夫人は、米国の海軍士官と芸妓の女性の悲恋物語ということで、いわの美術が所在している神奈川・横須賀も舞台になりそうな、親近感を覚えるあらすじですね…
ジャポニズムな古美術を無料で査定。
マイセンが柿右衛門式の磁器を生産し始めたのも、この時期のことでした。
当時の西欧の富裕な人々がが自らの邸宅に日本や中国の工芸品の数々や東洋の美術品を整え、ジャポニズムやシノワズリの家具や衣服をあつらえることは一種のステータスであったため、JapanやChinaという呼称は、彼らが社交の場においてコレクションを披露しあう際に自身の持ち物が確実に日本や中国からの舶来品であることを言い表すために使われ始めた言葉であるのではないか?とも考えられましょう。
グローバル化による国際理解がすっかり進み、科学的な意味での技術に着目する向きがより強くなった現在ではもっぱら、「漆」は「塗り物」というニュアンスを説明する向きから”Japanese Lacquerware”と訳されることが多くなっております。 ジャポニスムの隆盛は、ガレやドーム、ラリックも折衷の美を追求し、ジョン・ラスキンが提唱したアートアンドクラフツ運動が花開くアールヌーヴォー、アール・デコへ連なり、日本への反映として明治・大正のモダンスタイルにつながっていきます。いわの美術はそうした美術品を、慶んで査定いたします。