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戦国武将の家紋 その1

2016/9/22

戦国武将の家紋 その1


家紋の原点

戦国武将の甲冑などにみられる家紋。家紋はもともと公家から始まったとするのが定説となっています。

平安時代の貴族達たちは、他家と区別するために自家の牛車や調度などに、当時流行していた巴紋や木瓜紋といった文様を付けたのが家紋の原点とされています。


武家の家紋の発生

公家にはじまった家紋ですが、平安時代末期の武士の登場により、その意味合いが変化していきます。

源氏・平家といった武士は、最初は白旗と赤旗といった色で敵味方の識別をしていましたが、合戦が重なってくると、色だけの識別は役に立たなくなり、自らの功名を示すための紋章として、武家の家紋が登場しました。全国各地の戦乱・戦国の時代を経て、紋章としての家紋は、急速に武士の間に普及していきました。



戦国武将の家紋

ここでは、歴史上有名な戦国武将の家紋をいくつか紹介していきます。


織田信長

海外から最新鋭の武器などを積極的に取り入れるなどした革命児として知られる武将。天下統一を目前にし、家臣・明智光秀の謀反により京都の本能寺で自害。


五つ葉木瓜…鳥の巣をデザインしたものと伝えられ、”鳥の巣=子孫繁栄”を意味する、めでたい紋とされる。

 



明智光秀

主君であった織田信長を討った謀反者のイメージが強いが、居城があった丹後では善政を行ったとされ、現在も地元から愛されている。


桔梗…秋の七草である桔梗を紋様としたもの。「桔梗」紋は、岐阜・飛騨地方に多く見られる家紋である。丸みを帯びた可憐なデザインのため代表的な女紋とされる。明智光秀の家紋の色は水色であったため、水色桔梗紋とも呼ばれる。  



豊臣秀吉

天下統一を成し遂げた英傑の一人。大阪では出世の象徴となっており、「太閤さん」と親しまれ、現在もその人気は絶大。


五七桐…本来、桐紋は菊紋に次ぐ名誉ある紋として尊重されていたが、室町幕府の時代より、徐々に皇室から臣下、戦国大名へと下賜されていった。豊臣秀吉は「太閤桐」紋を新たに創り、桐紋を配下の武将らに下賜。西日本でよくみられる。


武田信玄

甲斐の戦国武将。当時無敵といわれた騎馬軍団を率いていた。織田信長が最も恐れていた武将の一人として知られる。風林火山の旗印が有名。


四割菱…平安時代には既に使用されていたとされる紋章で、武田信玄の菱は武田の「田」を紋様にしたといわれている。


斎藤道三

「美濃のマムシ」と呼ばれた武将。僧侶から油売りを経て戦国武将に上り詰めた。織田信長に娘を嫁がせるなど、織田信長とは親密な関係にあった。


二頭波…斎藤道三は斎藤家を継ぐ際にもともとの斎藤家の定紋である「下り藤」に代えて、この二頭波を好んで用いた。この紋は道三が考案したともいわれている。

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