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文人画とは

2016/7/14

文人画とは


文人画とは、中国の明代に生まれた言葉で、中国の高級官僚や士大夫にならい、教養ある文人が嗜んだ余技的な絵画のことを指します。

 士大夫:中国の北宋以降、科挙官僚・地主・文人の三者を兼ね

 備えた者


日本で文人画というジャンルが生れたのは、江戸時代中期のことです。その背景には、中国からの書籍輸入の増大や黄檗宗の伝来、儒学・漢文学の隆盛などがあげられます。


文人とは、もともと中国の高級官僚である士大夫が、職を離れて芸術や哲学に生きがいを求め、これを実践した人たちのことで、その文人たち余技的に嗜んだ絵画が文人画です。酒を飲み、詩をつくり、書を愉しみ、絵を描く詩書画三絶が文人の理想とされ、それには高い教養が必要とされました。


文人画は「南宗画」ともよばれ、専門的な職業画家による「北宗画」とは区別されました。

日本人の文人(知識人)が中国の南宗画を本格的に学ぶようになったのは、江戸時代の中期に入ってからのことで、その頃にはマンネリ化していた狩野派の絵に飽き、中国の詩書画三絶の南宗画という世界を知った日本の知識人たちが、最初は中国の絵手本に学びました。


日本の文人画を大成したのが池大雅与謝蕪村で、これらは「南画」とよばれました。江戸時代後期に入ると、関西では岡田米山人、浦上玉堂、青木木米、関東では谷文晁、渡辺崋山、中山高陽など多くの文人画家が現われました。


日本の文人画は、中国の士大夫にならって精神修養や教養を深めることを大きな目的に、絵画と書、漢詩を一体化させたり、絵画で詩的な世界をつくりあげました。

日本文人画の画題は、山水・花鳥・樹木・人物などで、中国趣味の題材を描く作品が多くみられます。手法は、漢画、主に南宗画の技法を用い、その筆意を模倣しました

山肌や樹木などの稲位や凹凸をぼかしを表現する皴法(しゅんぽう)の一種が特徴的です。指先や爪で描く指頭画もよく用いられました。江戸時代後期には西洋画の技法も取り入れられました。

文人画の鑑賞者は儒者などの文化人、武士、町人、富裕層の農民などで、俳諧師を兼ねた文人画家は積極的に日本各地を行脚したため、地方でも鑑賞されました。

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