今回、いわの美術がお買取したお品物は、海軍兵学校校長、海大校長、軍令部長、軍事参議官などを歴任し、亡くなった日に元帥海軍大将となった島村速雄の肉筆の掛軸です。
歴史に名を残した人物の書画は中古市場でも高い人気を誇っており、手紙や手記などは歴史的資料としても価値があるため、高価買取となる場合もございます。
今回の買取では、シミ、汚れなど、破れなどのマイナス要素が少なく、高い評価での買取となりました。
また、他にも処分したい品物があるという事で出張買取でお伺いしており、多数の貴重な作品を買取らせて頂きました。
いわの美術では1点から大量の買取まで幅広く対応しており、日本全国出張費・査定費は全て無料となっておりますので、ご処分をお考えのお品物がございましたら、まずはいわの美術までお気軽にご相談下さい。
島村速雄は「非常な秀才で智謀は底が知れない」「軍人には珍しいほど功名主義的な所が無い」「生涯はつねに他者に功を譲ることを貫いた」「天性のひろやかな度量のある人物」などと評されており、とても優秀な軍人でした。
その秀才ぶりは幼い頃から見られ、9歳の時に父を亡くすと家計が厳しくなり、その事を理由に学費が不要な海軍兵学寮への進学を希望し、勉学に励んだそうです。
また、16歳の時、島村の才気を耳にした司法省の役人から養子の誘いがありましたが、「男子たるもの、他人の力で出世するのは意気地の無い事だ」として断るという意志の主張もしっかりとしていたようです。
そんな島村速雄ですが、17歳の時に上京して海軍兵学寮(在学中に海軍兵学校に改称)を受験して合格し、本科では常に首席という優秀な成績をおさめていました。
こうして海軍でも戦術の進歩に貢献した人物として活躍し、イギリスに渡ってイギリス海軍のノウハウを学び、日露戦争終結直後には日本に初めて練習艦隊が正式に組織される事となると初代司令官をつとめました。
軍人として活躍する一方で、文才にも優れていたという一面も残しており、人の文章を添削する能力は非常に長けていたそうで、交渉を有利に進める事ができるようにと誰が読んでも気持ちを害さない文章を書く事で知られていました。
ご自宅に島村速雄の作品はございませんか?状態が良ければ買取額も高くなりますので、仕舞ったままになっているようでしたら是非、いわの美術に買取らせて下さい。