肩書きなど | 本名は吉田節子 新制作協会会員、文化功労者、尾西市名誉市民、勲三等宝冠章 |
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紹介文 | 愛知県で生まれた洋画家です。 生家は大地主で、織物工場を営む裕福な家庭で育ちました。 父親は医者になる事を望んでいましたが、画家になることを打ち明けると「日本画なら」という条件を突きつけられました。 しかし、断固として耳を貸さず、洋画家への道を進みました。 19歳という若さで三岸好太郎と結婚し、3人の子供をもうけましが、好太郎の女性関係に悩む日々が続きました。 好太郎が病気亡くなると、絵描きとして色々な仕事を引き受けながら生計を立て、3人の子供を育てました。 その後、菅野啓介と別居結婚をしますが数年後に解消し、画家としての憧れの土地フランスへと渡ります。 画家としてやっと表舞台に立つことができ、様々な作品を残しています。 帰国してからも精力的に活動を続け、90歳を超えても100号の巨大なキャンバスに作品を描き残すなど亡くなるまで画家として生き続けました。 |
略歴 |
1905年 愛知県で生まれる 三岸好太郎と結婚する |