肩書きなど | 通称はレオナール・フジタ サロン・ドートンヌ会員、サロン・デ・チュイルリー会員、ベルギー王立アカデミー会員、二科会会員、レジオン・ドヌール勲章シュバリエ章、勲一等瑞宝章 |
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紹介文 | 東京都で生まれた洋画家です。 東京の医者の家に生まれましたが、幼い頃から絵を描くのが好きでした。 中学校を卒業する頃には、フランスへ画家として留学したいと思うようになります。 父親は医者になる事を望んでいましたが、何も言わずに画材を買うための資金を出してくれました。 東京美術学校に入学しますが、表面的な技法ばかりの授業をつまらなく感じ、あまり授業には参加しませんでした。 卒業後フランスへ渡り、画家として一歩を踏み出そうと日本からの仕送りを断った矢先、第一次世界大戦の煽りを受け絵がなかなか売れない日々が続きます。 終戦を迎えたのをきっかけに絵が売れるようになり、わずか3ヶ月で個展を開くまでになりました。 その後も戦争の影響で何度か帰国と渡仏を繰り返し、その間に戦争画の制作を余儀なくされるなど自分の意に反した作品制作に嫌気が差し、フランス国籍を取得し、日本に戻る事はありませんでした。 エコール・ド・パリの代表的な画家として活躍し、日本画の技法を油彩画に取り入れた独自の「乳白色の肌」と呼ばれる裸婦像は有名です。 |
略歴 |
1886年 東京都で生まれる 会員に推挙される 特別陳列される |