肩書きなど | 旧姓は渡辺 号は紅塐(こうそ) 帝国美術院会員、帝国技芸員、文化勲章 |
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紹介文 | 大分県で生まれた彫刻家です。 10歳の時に朝倉種彦の養子となり、大分尋常中学校竹田分校での落第が続きました。 そんな中、東京で彫刻家として活躍していた兄・渡辺長男を頼って上京します。 はじめは俳句を学ぶ事を望んでいましたが、兄のもとで暮らすうちに彫塑に魅せられ必死で勉強して東京美術学校彫刻選科に入学しました。 学生時代はモデルを雇うお金が無かったので、上野動物園へ行って動物のスケッチをしていました。 それを知った大学の教授の紹介によって、貿易商での動物の像の制作に携わる事となり技術を磨いていきました。 大学を卒業してからは、文展で活躍し、連続して受賞を重ねていきました。 しかし、アトリエは戦火を免れたものの、戦時中の金属供出のために400点余の作品を失う事となってしまいました。 それでも驚異的な質と量の作品を多く残し、これらの作品を自分が生まれた登地の大自然の中に自分の作品を展示したいと考えるようになりました。 自分の生家の近くの土地を買って「愛の園生(そのお)」という名前の公園にしようと工事を始めましたが、急性骨髄性白血病によって公園の完成を待たずに亡くなってしまいます。 現在では、地元の人たちの協力によって「愛の園生・朝倉文夫記念公園」として朝倉の作品や当時使用していた道具などが展示されています。 |
略歴 |
1883年 大分県で生まれる 文部省買上げとなる |