肩書きなど | 無所属 |
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紹介文 | 京都府で生まれた洋画家です。 警察官をしていた父を持ち、その三男として生まれました。 詩歌や小説を慈悲出版で発行するほどの文学青年でした。 独学で絵を描くようになり、1〜2時間ほどで絵を完成させるほど速筆でした。 自身のアトリエを持たずに思い立ったら絵を描くスタンスを生涯続け、貧民街で生活をしていました。 二科展で活躍しますが、二科展の委員会に嫌われていたようで、なかなか会員にはなれませんでした。 そんな生活であったため、絵の値段が上がる事はなく、絵を換金するために知人や著名人の所に押しかけては頼んでもいない絵を描き、売りつけてお金をせびるような事をしていました。 晩年は酒に溺れる毎日で、ほとんど絵を描いていませんでした。 和製ゴッホと呼ばれるような作風で人物図を多く残し、住んでいた浅草の風景画も残しています。 |
略歴 | 1891年 京都府で生まれる 1911年 みずゑ主宰の水彩夏期講習会に参加する 1919年 歌集「長谷川木葦集」を自費出版する 1923年 新光洋画展で入選する 1925年 二科展、帝展で落選する 第3回大阪藝術展で受賞する 1926年 二科展で初入選する 帝展で入選する 1927年 1930年協会展で入選する 二科展で樗牛賞を受賞する 1928年 1930年協会展で奨励賞を受賞する 1929年 浅草近くのドヤ街に住む 1930年 二科展に出品する (1937年まで出品を続ける) 1932年 天城俊彦と知り合う 1935年 アモレ画廊で初の個展を開催する 1936年 ガラス絵に夢中になる 1937年 一水会展に出品する 矢野文夫と大島に小旅行する 1939年 健康状態が悪くなる 水墨画を制作する 1940年 路上で倒れ、病院に収容される 10月12日逝去 |