肩書きなど | 本名は廣次 日本芸術院会員、日展常任理事、文化勲章、勲三等瑞宝章、コメンダドール章オフィシエ章(ブラジル) |
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紹介文 | 福岡県で生まれた洋画家です。 画家を志し、美術学校への進学を希望しましたが父親に反対され、22歳の時に画家になるために上京を決意しました。 東京では、小学校の図画教員をしながら坂本半次郎に絵を学んでいました。 しかし、関東大震災に遭い京都に移住することになります。 教職をつとめながら関西美術学校へ通って絵を学んでいましたが、結婚を機に画業に専念し、渡欧します。 パリにアトリエを構え、イタリアやスペインへ写生旅行に出かけたり、サロン・ドートンヌ、サロン・ド・リーブルに出品を重ね、帰国します。 帰国後は、二科展、一水会、日展など様々な展覧会に出品し、その名を知らしめました。 また、朱富士(アカフジ)の第一人者で何度も富士に足を運んでおり「山の美しさは稜線にあり厳格な美しい自然景観は富士にしかない」と、何点もの富士山を描き残しています。 |
略歴 |
1898年 福岡県で生まれる リーブルに出品する コメンダドール・オフィシアール賞を 受賞する |