岐阜県で生まれた洋画家です。商人の家で裕福な家庭にうまれました。商人に仕立てようと思っていた父親の反対を受けながらも東京美術学校に入学します。在学中に父親が亡くなり、家が破産してしまい、それ以来苦しい生活を余技なくされました。美術学校では長原孝太郎、黒田清輝に学び、卒業してからは戦争になり、召集されるも不適合という事で免れました。その後、二科展に出品し続けいつしか「画壇の仙人」などと呼ばれるようになります。二科会が解散すると二紀会に参加しますが、しばらしてから脱会し、無所属として活動を続けます。子宝には恵まれたものの、極端な芸術家気質でその生活は苦しく、妻に「絵を描いてほしい」といわれるほどでした。そのため、二人の子供を亡くし、その時の事を描いた作品も残されており、生と死についての作品を手掛けるようになります。晩年の30年間は全く外出することなく、自宅の庭で虫や花を描き続けました。
写実画から表現主義的な画風を経て、極端までに単純化された形、それらを囲む輪郭線、平面的な画面など抽象度の高い「熊谷様式」というスタイルを確立しました。また、洋画だけではなく日本画も多賀家、他にも皿の絵付けや版画も制作しています。
1880年 岐阜県で生まれる1897年 慶応義塾普通科に1学期のみ通学する1898年 共立美術学館に入学する1900年 東京美術学校に入学し、長原孝太郎、
黒田清輝に師事する1904年 東京美術学校を卒業する1905年 樺太調査隊に参加する1909年 第3回文展で褒状を受ける1913年 実家に戻る1915年 上京する 第2回二科展に出品する
(以降、毎年出品する)1922年 結婚する1929年 二科技塾開設に参加する1932年 家を建てる1947年 二紀会創立に参加する1951年 二紀会を退会する1956年 脳卒中となる1968年 文化勲章受章を辞退する1972年 勲三等叙勲受賞を辞退する1977年 8月1日逝去
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