肩書きなど | 勲三等瑞宝章 |
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紹介文 | 佐賀県で生まれた洋画家です。 幼い頃に両親が離婚し、祖父母に育てられました。 絵に興味を持ち、幼い頃に分かれた実母に油絵具を貰い、それを使って描くようになりました。 川端画学校、東京美術学校で技術を学び、卒業していからは美術教師として働いていました。 しかし、戦争によって召集され満州へ赴く事になります。 戦地でも作品の制作を行い、人を伝って作品展に出品するなど、画家としての本分を忘れていませんでした。 日本の敗戦が決まり、やっと日本へ帰れると思っていた矢先、シベリアへ収容されてしまいます。 この体験が後の作品作りに影響を与え、帰国してからは美術教師を続ける傍ら、シベリアでの体験をもとに生み出したマチエールで出品するようになりました。 画業に専念したいと美術教師を辞め、世界各国を取材旅行し、生涯、絵を描く事だけを生きがいに多くの作品を生み出しました。 |
略歴 |
1932年 佐賀県で生まれる 美術教師をつとめる クラスノヤルスク地区のセーヤ収容所で 強制労働に従事する つとめる 創作活動に専念する 香月泰男展、カーネギー国際展に出品する 主任教授を委嘱される 第1回日本芸術大賞を受賞する 刊行する 刊行する カナリヤ諸島で取材旅行をする ノルマンディーなどで取材旅行をする |