肩書きなど | 号は槐庭(かいてい) 東京美術学校教授、京都高等工芸学校教授 |
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紹介文 | 千葉県で生まれた洋画家です。 佐倉藩中屋敷の藩士・浅井常明の長男として生まれ、幼い頃から絵を描くのが好きな少年でした。 佐倉藩の藩校・成徳書院で四書五経などの儒教や武芸を学ぶかたわら、13歳の頃から佐倉藩の南画家・黒沼槐山に花鳥画を学び槐庭(かいてい)の号を授かるほど、絵の才能に満ち溢れていました。 上京して彰技堂で国沢新九郎のもとで油絵を学び、新設された工部美術学校に入学し、イタリア人画家アントニオ・フォンタネージ本格的に西洋画を学びました。 卒業してからは新聞画家として中国に派遣されたり様々な経験を積み、浅井が中心となって明治美術界を設立します。 東京美術学校教授となってからは、フランスへ留学する機会があり、そこで学んだ事を後進の指導に生かすため、聖護院洋画研究所を設立しました。 その後、京都高等工芸学校教授となって教鞭を振るい、京阪の洋画家を中心に結成された関西美術会を通じて京都の洋画壇の活性化と発展に尽力する一方で、工芸品の図案や制作に積極的に参加し、京都工芸会に影響を与えました。 浅井が育てた画家は安井曽太郎、梅原龍三郎など多くの有名な作家がいます。 |
略歴 |
1856年 千葉県で生まれる アントニオ・フォンタネージに学ぶ 妙技2等賞を受賞する |