肩書きなど | 本名は新吉(しんきち) 文化勲章、勲一等瑞宝章、功労大十字勲章(ドイツ)、文化功労者、芸術院会員、日展顧問、日展理事長、日展審査員、市川市名誉市民 |
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紹介文 | 神奈川県で生まれた日本画家です。 船具商を営む家に生まれ、父親の仕事の関係で幼い頃に横浜から神戸へと移り住みました。 絵を描く事が大好きで、遊び癖のあった父親に代わって母親を喜ばせたいと思うようになり、画家を志すようになりました。 本格的に画家になるため、上京して東京美術学校日本画科に入学し、卒業してからも結城素明に師事して画技を磨きます。 家族のために早くいい作品を描き上げたいと思っていましたが、周りの友人たちが脚光を浴びる中、魁夷の作品はなかなか評価が得られませんでした。 西洋の美術を学ぼうとベルリンへ留学しますが、留学期間残り1年という所で、父親が病気となり帰国することになりました。 さらに、戦争によって制作活動は中止せざる得ない状況となり、戦争と病気などで家族を次々と失い、残ったのは魁夷一人だけとなってしましました。 そんな中、家族の死という生命に関する出来事から学んだものがあったのか、生命を感じさせるような画風で一躍脚光を浴びるようになります。 戦後は日展で活躍し、審査員、理事長など日展の中心人物として活躍しました。 油絵のような艶のある色彩や、水墨画のように淡く控えめな色彩などで多くの作品を残しています。 |
略歴 |
1908年 神奈川県で生まれる フィンランドを写生旅行する 第一期障壁画を完成させる |