肩書きなど | 本名は晴三郎 別号は北心斎東秀 帝室技芸員、コマンドール・カムボージュ勲章 |
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紹介文 | 和歌山県で生まれた日本画家です。 狩野芳崖に画を学び北心斎東秀の号を授かりました。 芳崖が亡くなってからは芳崖の親友でもあった橋本雅邦に師事して画を学びました。 その後、フェロノサの目にとまり、東京美術学校の第一期生として入学し、卒業後は帝国博物館古画模写事業に従業し、観山の号を使用するようになります。 また、東京美術学校の助教授としてつとめ、。岡倉天心の思想を絵画上に表現したといわれており、岡倉天心の辞任にともない自身も連快(れんぺい)辞職し、日本美術院の創設に参加しました。 その後も、横山大観らと日本美術院の再興を果たし、大観と合作「蓬莱山図」を制作しています。 また、日本とフランスの美術交流を深めたとして、フランス政府からコマンドール・カムボージュ勲章を受章するなど活躍しています。 |
略歴 |
1873年 和歌山県で生まれる 橋本雅邦に師事する 同行の助教授となる 東京美術学校を連快辞職する カムボージュ勲章を受章する |