肩書きなど | 本名は不動太郎のちに茂吉 別号は莒喰子、天魚楼 日本美術院同人 |
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紹介文 | 江戸で生まれた日本画家です。 牛久藩の重臣であった小川賢勝の長男として生まれました。 武家の家に生まれましたが、廃藩置県によって農家となりました。 上京して、本多錦吉郎から洋画を、市隠抱朴斎に漢画を学び、日本画を独自に習得しました。 その才能を見た尾崎行雄の推挙を受け、朝野新聞に客員として入社し、漫画や挿絵を担当するようになり、芋銭と名乗るようになりました。 この芋洗という号は「自分の絵が芋を買うくらいの銭になるれば」という思いからつけられたそうです。 その後、実家に戻り、農業をやりながら画家としての活動をしており、これには妻の支えがあって成し得たことでした。 本格的に日本画家をめざし、川端龍子らと珊瑚会を結成し、その後、横山大観に認められ日本美術院同人となりました。 作品は水辺の生き物や河童などの魑魅魍魎の伝記、伝承を好んで描き、「河童の芋銭」と呼ばれるほどでした。 |
略歴 |
1868年 江戸の牛久藩で生まれる 洋画を学ぶ 客員として入社する 新聞に掲載する 漫画が採用される 推挙される |