肩書きなど | 本名は寿三郎 日本美術院同人 |
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紹介文 | 神奈川県で生まれた日本画家です。 15歳の時に山田馬介という画家にターナー風の水彩画を学び、「龍介」の雅号を貰いました。 その後、兄とともに松本楓湖の画塾に入り日本画を学びます。 そこでは、師以上に兄の指導が厳しく、走っている馬を自らも走りながら写生するように行ったり、色を強く塗り過ぎた作品は水で洗い流され、描き直しをさせられたりしていました。 こうして手に入れた技術を使い、紅児会を結成し新時代日本画の創造をめざし、常に斬新な画風で日本絵画共進会・巽画会・文展などで活躍しました。 大胆で独創的な作品は当時の日本画壇に刺激を与え、後に画家として活躍する者たちに大きな影響を与えました。 また、号の紫紅は様々な美しい色彩を表す「千紫万紅」から文字をとってつけたそうです。 日本画家としてこれからという時に、大好きなお酒の飲みすぎで肝臓を傷めてしまい、脳溢血も併発し、37歳という若さで亡くなってしまいました。 |
略歴 |
1880年 神奈川県で生まれる 号と似ている事から紅児会と改称する 大きな刺激を受ける 古美術を研究する |