肩書きなど | 日本画家・工芸家・陶芸家・書家 本名は房二郎 別号は海砂、可逸、鴨亭、福田蘭亭、福田大観 |
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紹介文 | 京都で生まれた芸術家で、美食家としても知られています。 上賀茂の社家に生まれましたが、幼い頃に家庭の事情で養子に出されました。 書家になることを目指して中国などを旅行し、書や篆刻を独学で学び、金沢で食事と勉学を提供される食客として生活することで食器と美食に対する見識を深めていきました。 そして、自らが厨房に立ち料理を提供する会員制食堂・美食倶楽部を立ち上げ、そこで使われる器も自らが制作していました。 その後、東京の星岡茶寮を借り受け、会員制高級料亭と鎌倉に窯芸研究所・星岡窯を作りました。 しかし、傲慢な態度と物言いが災いし、星岡茶寮の経営者である中村竹四郎から解雇されてしまいました。 戦後、銀座に「火土火土美房(かどかどびぼう)」を開店し欧米から注目され、世界でも活躍するようになります。 織部焼の人間国宝に指定されましたが、これを辞退していることでも気難しい人物であることがうかがえます。 |
略歴 |
1883年 京都府で生まれる 開業する |