肩書きなど |
本名は板谷嘉七(いたや かしち) 文化勲章、帝国美術院会員、帝室技芸員、茨城県名誉県民、下館町名誉町民 |
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紹介文 | 茨城県で生まれた陶芸家・彫刻家です。 岡倉天心、高村光雲の指導を受け、石川県の工業高校で陶芸の指導を担当したのをきっかけに本格的に作陶の道へと進むようになりました。 さまざまな美術展で数々の賞を受賞し、陶芸家として初めて文化勲章を受章し、人間国宝に推挙されますが自分は芸術家だということで辞退しています。 それまでの日本の伝統にはない葆光彩磁という手法を用いて白磁、青磁、磁彩などで独自の作風を築きました。 また、完璧な器形を求めていた波山は、轆轤師・深海三次郎(ふかみ みつじろう)、現田市松(げんだ いちまつ)と共に素晴らしい作品を残しました。 |
略歴 |
1872年 茨城県で生まれる 不適合とされ軍人の道を断念する 轆轤を担当するようになる 制作を続ける |