橋本明治・・・
島根県に生まれた橋本明治は、画家を目指し東京美術学校に入学します。
在学中には、作品を帝展に出品し入賞を果たすなど元々持っていたかのような才能を発揮しました。
東京美術学校卒業後は同じく東京美術学校の卒業生で日本画家の松岡映丘に師事し、その後33歳で新文展に出品した作品が特選を受賞するという功績を収めます。
作品を入賞させた実力が買われた橋本は、1940〜1950年にかけて奈良県にある法隆寺金堂の壁画の模写に参加する事となりました。
法隆寺金堂の壁画は、言葉に表す事が出来ない程の美しさで日本文化財の調査・保護が始まった明治時代初期頃から保護の対象とされ、多くの人々が後世の残し方を検討していたそうです。
そこで出された案が、一流の画家を集め壁画を模写させて後世に残すという方法で、そのチームの主任に選ばれたのが橋本でした。
第二次世界大戦後も模写は続けられていましたが、ある日不審火によって金堂が炎上し、もちろん中にあった壁画も焼け焦げてしまったので、模写は中止となり芸術的な作品は永久に失われてしまいました。
戦後は日展にて活躍していた橋本でしたが、44歳の頃、一般社団法人創画会の前身と言われている創造美術の結成に参加するも2年後に退会し日展に戻り様々な作品を出品し賞を受賞します。
今までの功績が称えられ、70歳で文化勲章を受章、文化功労者として顕彰され今後の活躍に期待が高まりましたが、93歳の時に急性肺炎にてこの世を去りました。
橋本明治 神魂神社
今回いわの美術がお買取り致しましたのは、橋本明治の神魂神社という作品です。
橋本の特徴でもある太くしっかりとした線で、神魂神社の本殿・拝殿の屋根の曲線や周りの柵の木が1本1本丁寧に描かれています。
30代で法隆寺金堂の壁画の模写を行い培われた技術力で、正確に描かれた橋本の作品は、現在の中古市場でも高い評価を得ています。
この作品で描かれている神魂神社は、橋本の故郷でもある島根県に建てられていて、国土を作り神を生んだとされる伊邪那美命(イザナミノミコト)が祭られているのです。
そして、天照大神(アマテラスオオミカミ)の子供で第二子とされる天穂日命(アメノホヒノミコト)が天より降り神魂神社を創設され、以後天穂日命(アメノホヒノミコト)の子孫が25代に渡り神魂神社を守ってきたと言われています。
誰の目にも触れる事なく森の中にひっそりと佇む神魂神社は、静寂な空気に包まれていて自身の心と向き合える神聖な神社です。
神魂神社に訪れ絵を描いた橋本は、どのような気持ちで訪れたのか、自身の心の声と向き合う事が出来たのか気になる所です。
日本画の買取について
弊社いわの美術では、力強くしっかりとした線で絵を描く橋本明治の作品をお買取り致します。
力強い線の中にも対象を細かく鮮明に描いている橋本の作品は、亡くなった今でも多くの方から根強い人気を得て中古市場でも高評価が期待出来ます。
いわの美術では、上記でお話しした橋本明治以外でも、四季折々の季節感を描く笠青峰や、滋賀県にある湖国の原風景に惹かれ作品を描き続けた中路融人などの作品もお買取りしております。
ご自宅や会社に飾られている絵画、納戸に仕舞われている絵画、頂き物やご自身で購入された絵画を引っ越しなどで処分を希望されている方がいましたらいわの美術までお問い合わせ下さい。
また弊社では日本画以外にも、版画や油彩画、水彩画もお取扱いしております。
それ以外にも茶道具・書道具・掛軸・洋食器・武具・中国美術・軍物・時計・ブランド品などもお買取りしております。
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