こちらのお写真は、先日お買取いたしました長谷川利行のデッサン画「子守」です。
長谷川利行は、「放浪の天才画家」と呼ばれた明治から昭和初期の薄命の洋画家です。
長谷川利行は、才能を持ちながらも、その奇矯な言動や性格が仇となり、悲惨な生涯を終えた破天荒な芸術家として、日本のゴッホとも謳われています。
長谷川利行は、下町の情景やそこで生活する人々の日常的な姿を、奔放な中に詩情をたたえる作風で表現した画家ですが、その後の荒々しいタッチで描かれる作品はアカデミックな画壇達には認められず、没後にその画業が再評価され、現在は多くのコレクターに愛され続けています。
今回お買取した長谷川利行のデッサン画には、2人の赤ん坊を子守する日本髪を結った闊達な下町らしい母の姿が描かれています。
手には雑巾のようなものを持ち、子育てに追われながらも家事に勤しむ母親像が、長谷川利行らしい豪快なタッチで、モチーフの本質を的確にとらえ、表現されています。
デッサン画の右上には、走り書きような文字で1928年とあり、昭和初期の頃の様子が描かれた作品と思われます。作品裏面には「長谷川利行の会」の共シールなどが貼付された大変稀少なデッサン画で、高価買取にてお譲りいただきました。
いわの美術では、長谷川利行の作品買取をしております。 長谷川利行の利行はトシユキというのが本来の読み方であったようですが、リコーと呼びならわされていたようです。
長谷川利行が、どこでどういう風に油絵を学んだのか詳しくは誰にも分かりませんが、画家生活を始めたのは30歳過ぎといわれ、突然に、脇目もふらずに油絵を描き、それからは画狂人のような生き方をし続けました。
長谷川利行は、荒い筆致で殴り描いたような作風で、当時、モダニズムを謳った東京のビール工場、機関車庫、地下鉄、キャバレー、百貨店など、町の風景や人物を、誰も真似ようのない独自のスタイルを確立して表現しました。
長谷川利行は二科展に出品し、樗牛賞など受賞しますが、生きたいように生きて、書きたいように書いたその生活からか、酒乱と奇行を繰り返し、次第に周りの画家達からは爪弾きにされ、画壇にも見放されるようなってしまいます。
長谷川利行は、10年近い放浪飲酒の生活の果て路上で倒れ、行路病者として養育院で窮死しました。
長谷川利行は、「思い立ったら絵を描く」というスタンスを生涯続け、貧民街で生活をしており、作品の評価が確立したのは、死後何十年もたってのことです。 長谷川利行の作品は数多く残されていますが、一般にはその真贋判定は難しくなっているため、長谷川利行の肉筆作品買取の際は、公定鑑定を行う東京美術倶楽部の鑑定書などがございますと、高価買取につながります。買取査定費用は無料ですので、先ずはご相談からでもお気軽にご連絡下さい。