佐藤潤四郎は、福島県の郡山出身のガラス工芸作家です。
1934年にカガミクリスタルの創業者である各務鑛三と出会い、これをきっかけに1936年に入社し、デザイナーとして数々の作品の制作に携わります。各務や岩田藤七に続く昭和を代表する作家として国内外で活躍しました。代表作には『洋車』があります。ひつじ年生まれということが影響して佐藤潤四郎は、羊にちなんだ作品を多く残していて、そのうちの一つが「洋車」でした。
佐藤潤四郎の亡き後、平成4年に開館した郡山美術館では彼の作品を積極的に収集・展示を行っています。
佐藤潤四郎が造り出す柔らかな曲線や、みずみずしく光を反射する造形は1962年の初代『スーパーニッカ』の容器に起用されました。竹鶴が、カガミクリスタルの製作所の工房に並んでいた作品に一目ぼれして、依頼されたものでした。その時竹鶴は、ボトルを見るなり抱きしめて離さなかったという逸話まで残されている程です。
1907年〜1988年 享年81歳
1907年 福島県の郡山市に生まれます
1934年 東京美術大学金工科鍛金部卒業
1936年 各務クリスタル製作所に入社
1972年 各務クリスタル製作所を退社
1973年 日本陶器(ノリタケ)顧問
1975年 ガラス工芸会初代委員長
1981年 東京ガラス工芸研究所創設に参加
佐藤潤四郎の作品は、柔らかい曲線美と親しみのある造形が特徴です。彼は、造形の基本を東洋の「五行説」に見出していました。五行説の土・火・水・空・風の5つの元素をそれぞれを、立方体・四角錐・球・半円・宝珠で表現し、それを造形の手本していたそうです。彼は、五行説から作り出された形を「形の神」と捉えていて、造形と信仰の強い結びつきを大切に作品づくりをしていました。
信仰と造形を組み合わせた創作は、1978年に、薬師寺から西塔の再建時に納める舎利器の製作を依頼されたこときっかけでした。クリスタルガラスに宿る「ガラスの神様」の存在を自分の中に見つけ表現していきました。また、「ガラスの神様」を題材としたデッサンなどの絵画をたくさん残しています。